谷本育実は他人に誇れるような成績を残しているわけではないが、姉にとって最良の練習相手だ。彼女はずっと姉の練習を見守り、遠慮なく問題点を指摘したり、アドバイスしたり、さらに海外合宿の際には外国のライバル選手の持ち味や弱点を細かく姉に教えたりしてきた。
だが、北京へ来る前に谷本は、たとえ姉妹の深い絆でも乗り越えられぬ、柔道人生を断たれるほどの壁に直面した。昨年11月、練習の際に腰を負傷し、練習どころか、歩くのも困難な状態に陥ったのだ。1週間に5回は病院で治療、しかも毎回3時間という苦痛の治療に耐えたが、「北京五輪への参加の是非は、完全快復後の状態で判断する」と医師から告げられた。
自宅で鬱々としていた日々、谷本は五輪金メダルへと自分を導いてくれた日本チームの古賀稔彦前コーチを思い起こした。
父と兄の勧めで柔道を始めた谷本は、92年のバルセロナ五輪の男子71kg級で優勝した古賀稔彦の姿をテレビで見て感動し、柔道を続ける決意をする。好運なことに、古賀氏はのちに谷本のコーチとなり、アテネ五輪を率いることになる。05年、この名コーチは、道場を去るとき「これからは一人でもやる。もう一花咲かせよう」と書いた色紙を谷本に贈り、さらに彼女の前で「磨け」と大きく書いた。
今年2月、谷本はついに練習場に戻ってきた。だが、負傷した腰をかばうため、それまで得意としてきた腰技を多用せず、ほかの練習に変えた。
谷本歩実は北京で、圧倒的な強さで再び五輪金メダルを手にした。これは、彼女がケガの痛みに耐え、「自分の柔道」という理想によって手に入れたものと言える。
「北京週報日本語版」より2008年8月22日
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