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就職のバリアフリー |
発信時間: 2008-09-05 | チャイナネット |
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パラリンピックの開催をきっかけに、障害者たちの生活状況に関心が集まっている。北京市の政府や民間団体は、 障害者の生活条件を改善し、彼らの社会参与を支援するために力を尽くしてきた。北京が障害者にやさしい真のバリアフリー都市になることを、誰もが願っている。
こうして彼は独学で、小、中、高校と大専(大学程度の専門学校)の課程を修了した。彼がもっとも得意なのは、コンピュータープログラミングとインターネットテクニックだ。ネットの世界では、彼は健常者と同じように自由に行動できるからだ。 大専の卒業証書をとってから、遠さんは就職のことを考え始めた。幼いころからずっと家で勉強し、社会との接触が少ないため、彼は就職にまったく自信がなかった。ただ、ネットで何通かの履歴書を出しただけで、就職にあまり熱心ではなかった。 彼は言う。「家にいる時は、みなが僕を身障者扱いせず、何をするにも手助けはしません。でも職場に行くとおそらく同情され、面倒を見られることになるでしょう。そんな情景を考えるとつらいし、少しコンプレックスを感じます。それに、電話をかけることとか、人や物事に接するのは、あまりうまくできないし、新しい場所で、1人で自分のことをすることができるかどうかもわかりません。だから就職は、後にしようと考えたのです」
「参加する前はとても緊張しました。1人で出かければ何が起こるかわかりません。トイレに行ったり、階段を上り下りしたりする時、うまくいかなかったらどうしようと思いました。けれども参加した後、こうした問題は自分で処理できることが分かりました。そのうえ僕と同じような体の不自由な人がまわりにたくさんいて、彼らはみなとても楽観的であり、独立していることに気付いたのです。それで僕は急に、自分が何でもでき、自信が持てたと感じたのです」と遠さんは言う。 北京に戻った後、遠さんは積極的に仕事を探し始めた。履歴書を出すだけでは何の音沙汰もなかったので、自ら進んで会社に電話をかけ、自分を売り込んだ。何回か面接試験で落とされた後、ついにある会社のソフトエンジニアの仕事を見つけた。 会社では、自分の車椅子がエレベーターに乗る人たちの邪魔にならないように、出勤、退勤のラッシュアワーを避けて、彼は毎日、もっとも早く会社に到着する。このほかは、他の職員とは同じような仕事をし、同じような待遇を受けている。彼はそのことに満足している。 これまで心身障害者連合会は、障害者の就職面で重要な役割を果たしてきた。それは、障害者を福祉企業に紹介したり、障害者を一定の割合で雇用させる政策に基づき、彼らを地元の政府機関や企業、事業体に受け入れさせたりすることだ。中国では、政府は障害者の職員の人数を、職員全員の1.7%以上にするよう定めている。 社会の発展にともなって、ますます多くの障害者が高い学歴を持つようになり、またインターネットの存在も彼らに健常者と同じように働くチャンスを提供するようになった。だから現在の若い障害者たちにとって、心身障害者連合会の最大の援助は、彼らが家を出て、社会と触れ合い、実践の中から自信を育てるチャンスを与えることだ。 そのほか心身障害者連合会は、技能のない障害者に対してさまざまな職業技能訓練クラスを開設し、彼らの就職を手助けしている。2008年、北京市の150余の街道(町内会)や社区に、障害者のための「温馨家園(暖かい家庭)」が設けられ、街道や社区ごとに障害者のリハビリや文化娯楽・スポーツ活動、職業技能訓練が行なわれている。 東華門街道の「温馨家園」では、7、8人の知的障害者が、編んだり、織ったり、裁縫したりする技術を定期的に習っている。教える先生はみな、社区の幼稚園の先生だった人たちに頼んだ。ここでは障害者たちは無料で訓練を受けられるだけでなく、訓練参加を奨励するため、1人に毎回5元が与えられる。彼らがつくったハンカチやタオルなどの製品を指定のデパートのカウンターで売ることができるが、売れる、売れないにかかわらず、彼らに「給料」が支払われる。長い年月、ずっと家にいた知的障害者は初めての給料をもらうと、飛び上がって喜ぶ。この喜びと満足感は、障害者が社会の活動に参加して行く原動力となるだろう。 「人民中国」2008年9月5日
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