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japanese.china.org.cn |14. 09. 2023 |
国境を守るタジク族の一家、忠誠で愛国の思いを記す
巴依卡さんが4日、息子の拉斉尼さんの写真を手に取った。
パミール高原で暮らすタジク族は日頃から、「家はタジク県、国は中国、放牧と国境防衛は職責」という愛国国境防衛精神を胸に秘めている。巴依卡さんもそのような国境警備員の一人だ。一家・3世代は70年に渡り国境を守り、愛国と献身の壮挙により無数の中国人を感動させている。
タシュクルガン・タジク自治県はパミール高原の東に位置する。国境線が長く、地勢が険しく、過酷な環境だ。うちクンジュラブの平均標高は5000メートル以上で、酸素濃度は平原の半分もない。風速は1年を通じ7級以上で、最低気温はマイナス40度を下回る。巴依卡さんの父、凱力迪別克・迪力達爾さんは自ら現地の1人目の「ヤクガイド」になり、自発的に国境警備軍人と共に警備を行った。
凱力迪別克は1972年に歩けなくなり、仕事を息子の巴依卡さんに託した。2004年に部隊を退役した拉斉尼さんは、国境を38年間守ってきた父の巴依卡さんからヤク追いの鞭を受け取り、千里の国境線を歩き始めた。巴依卡さんは息子に、「私は歩けなくなった。お前は私の道を歩き続けるのだ」と述べた。
拉斉尼さんは生前、「国の境界標識がなければ私たちの家や家畜はないと父から教わった。私たちは軍服を着た国境警備員ではなく、実際の行動により祖国の国境をしっかり守る」と語った。次の世代へ託す言葉が高原で鳴り響いた。
氷窟に落ちた子供を救助するため、当時41歳だった拉斉尼さんは2021年1月4日、不幸にも殉職した。殉職後、国から烈士に追認された。拉斉尼さんの二人の子供は現在、新疆カシュガル第二中学校で学んでいる。国を愛し国境を守る先祖代々の思いは彼らに深い影響を及ぼしている。
今や「パミールの荒鷲」と呼ばれた英雄の拉斉尼さんはこの世を去ったが、彼ら一家・3世代の愛国と献身の精神は今もなお高原に留まっている。国境を守る次の世代の「荒鷲」が祖先からバトンを受け取り、祖国の山河を守ることだろう。