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馬憲華 忘れえぬ山奥の子供たち

馬憲華。44歳。満州族。東北師範大学小学教育専業卒業。1994年、吉林省琿春市新地方小学教師になる。1996年、琿春果樹小学校にて教職に就く。2003年、吉林省委員会省政府により「山村優秀教師」という称号を与えられる。2004年、全国模範教師に、2005年には、全国中小学青年十傑教師に選ばれる。2006年、吉林省優秀共産党員と評価を受ける。

 
  果樹小学校は、吉林省琿春市の山深いところにある。馬憲華はここで唯一の教師である。家から学校までは、片道17キロあり、4つの山を迂回し、5本の川を歩いて渡る。その道のりは困難きわまりない。11年という長い時間が過ぎた。その間、多くの山の林檎や梨の花が開いては散り、散っては開きした。彼女はその11年、毎日毎日山道を奔走し続けたのだ。

「馬先生、お疲れ様でした。こんなに長年にわたり、たったの一時限も授業を休まれませんでしたね!」馬憲華のこととなると、蒋静文はいつも涙が止まらなくなる。蒋静文の家は学校の裏手にあり、果樹村の中で最も早くから住んでいる家の一つである。外孫や孫たちはみんな次々と馬先生の学生として学んだ。

1996年7月のある日、琿春市教育局の担当者が、民間小学校教師の馬憲華と会い、果樹村の状況を詳しく彼女に説明し、そこで教師として働くよう要請した。果樹村は辺鄙なところで、条件的には非常に厳しかった。最初、彼女は少し迷った。しかし果樹村の子供たちのこと、そしてその子供たちの親である村の農民の困った気持ちのことを、ひとたび思うと、ある種、神聖ともいえる責任感が湧き起こってきた。

二日目、彼女は家族が止めるのも聞かずに、断固として果樹小学校で働くことを決めた。学校が始まった日、馬憲華は最初の入学生たち13人にこう言った。「みなさんが学校に来たいと思う限り、私は絶対にここを離れませんよ。」そして、その後彼女はこの誓いを着実に行動によって実現していった。

教学上の制限により、果樹小学校では三年ごとに学生をまとめて入学させる。子供たちがきちんとした教育を受けられることを確保するために、馬憲華は、国家の教学要綱上の要求に厳格にのっとり、一人につき七科目の授業を行った。一・ニ・三年生は教材の難度はそれほど高くないが、科目数は多く、負担が大きかった。彼女は夜も週末もなく、授業準備に明け暮れた。果樹村は貧しいところだったので、学校を運営する中で様々な困難に遭遇した。それはたとえば、校舎の修繕や照明装置の設置、暖を取るための石炭を買う費用の捻出などであるが、これらはいずれも村人たちと馬憲華が自分たちで解決しなければならなかった。

11年間で、60人以上の果物農家の家庭の子供たちが卒業していった。その間、馬憲華も一つまた一つと名誉を得た。2006年9月、彼女は琿春市の共産党第13回代表大会の代表として選ばれた。今年の1月と5月には前後して、延辺朝鮮族自治州の共産党第9回代表大会と吉林省の共産党第9回代表大会に出席した。

農村教育の第一線で働く者として、馬憲華は農村学校と都市学校の相違をはっきりと認識していた。北京での大会参加のため出発する前の晩ですら、彼女は農村の教師と子供たちのことを忘れなかった。彼女は「農村で働く教師の待遇は悪すぎる。これも農村教育の発展を阻害する一つの原因だ。」と言った。

馬憲華は、義務教育を終えた農村の子供たちの進学問題についても、とても関心を持っている。「多くの子供は中学校を卒業してから、もし進学できなければ、一体何をしたらいいのかわからないでいる。」と彼女は語る。こうした子供たちが、実用的な技術を身につけ、故郷に何らかの貢献をできるように、社会が援助することが彼女の希望である。

「チャイナネット」2007/08/31
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