4.市場構造が絶えず改善
まず製品構造が絶えず改善され、自動車産業の製品シリーズが幅を広げ増加し、製品品種が多様化した。その次に、競争環境が改善された。新中国が成立した当時は主に国が支配しており、国営モデルしかなかった。その後、自動車メーカーに一定割合の販売権を認めるなど、国は権力を徐々に委譲するようになったが、国営企業は依然として優位に立っていた。しかし、経済のグローバル化が進むにつれ、競争が激化していった。民間企業を代表とする新企業の進出により自動車産業の競争局面が変化し、国営企業が天下統一する構図が崩れる一方、国産自動車と輸入自動車の競争は白熱化した。競争の激化により一部の企業の利益は減ったが、国内企業の潜在力を大いにかき立て、国内企業の技術改良を奨励し、経営管理が改善され、生産率が高まり、最終的に国内企業の国際競争力を高めることができ、国内企業の海外進出にしっかりした基礎を築いた。
5.技術が絶えず革新
中国自動車業界は大量生産の実現に努めると同時に、技術の革新と進歩に力を入れた。中国自動車産業の技術進歩は主に中国企業の自力更生にかかっている。1971年12月、一汽は60トン級鉱山用ダンプトラックの試作に成功した。1995年5月26日、中国初となる完成車の正面衝突試験に成功。1996年4月17日、清華大学自動車実験室は国内初となる自動車側面衝突テストを実施。そのほか、中国自動車産業の技術革新により、中国の対外開放政策も実現した。中国の自動車企業は国外の先進技術を次々に取り入れるようになった。1987年7月、一汽は小型エンジンを導入することで、米クライスラーと人民大会堂で調印式を行った。1993年6月12日、国際銀行団は一汽大衆有限公司に4億2000万元を融資し、世界先進レベルのプレス、溶接、塗装設備とエンジン生産ラインなどを同社に導入した。1993年8月3日、一汽集団の第2エンジン工場が竣工。同プロジェクトの総投資額は3億3000万元、米クライスラーの80年代の国際先進レベルの製品や製造技術、関連設備を導入して建設された。
「チャイナネット」 2009年8月28日
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