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日本軍の航空兵から中国の飛行士のコーチになった宮田忠明氏

宮田忠明さん

宮田忠明さんは小学校の教員の家庭に生まれた。高等小学校を卒業後、東京陸軍航空学校及び宇都宮陸軍飛行学校に進学し、パイロットの基礎的なトレーニングを受け、そして、岐阜県の「実施学校」でさらに経験を積んで、卒業した。1944年3月、宮田さんは中国の東北地方に派遣され、日本空軍の偵察機のパイロットとして働いた。日本敗戦後、宮田さんは最終に帰国するために、東北民主連軍に参加した。

1945年末、中国共産党は空軍を創設することを決めた。パイロットを育成するため、1946年1月1日、共産党は「東北民主連軍航空チーム」を創設し、日本航空隊を収容して改編した。同年3月1日、「東北民主連軍航空チーム」が「東北民主連軍航空学校」に変身し、宮田さんもパイロットの教員となった。

航空学校の生活条件は非常に困難であったが、中国側の関係者は可能な限り日本人教員と技術員を優遇したため、日本人教員たちは非常に感動した。彼らはさらに積極的に教育とトレーニングの仕事に力を注ぎ、学生たちと深い師弟愛で結ばれた。宮田さんは今でも、「航空学校に貢献したみなさんにまことに感謝しています。中国の人々はそれを絶対に忘れません」という航空学校のリーダーの話をはっきりと覚えている。外国人の教員にとって、地元の人々に信頼されるのは最も重要なことである。航空学校にとって、自分が「外の人」ではなく、「内の人」である、と宮田さんは感じていた。

1946年3月から1949年12月までの間、東北航空学校の教員たちはいろいろな困難を克服し、中国のためにパイロット150人、エンジニア約400人を育成し、人材の面で中国の空軍の発展に重要な貢献をした。

女子パイロットと撮影する宮田さん(前の中)

1950年初、宮田さんは第1陣の女子パイロットの主任教官に任命された。彼女たちの奮闘の精神が宮田さんに深い印象を残した。1952年3月、この第1陣の女子パイロットは航空機6機を操縦し、台形編隊飛行を行い、天安門の上空を飛び越し、毛沢東主席からの賞賛を博した。この奇跡には日本人のコーチの努力も貢献している。

1958年、宮田さんは長年離れていた日本に帰国した。彼にとって、中国は「第二の故郷」であり、帰国後の生活で、東北航空学校への恋しい思いを一刻も忘れたことはなかった。

「チャイナネット」2007年9月25日

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