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解放軍の看護婦、清水章子さん

清水章子さん

清水章子さん、1925年12月に中国吉林省の公主嶺に生まれ、1942年3月に奉天朝日女子中学校を卒業後、瀋陽の満鉄会社で働き始めた。日本敗戦の直前、章子さんは安東(今の丹東)満鉄鉄道局に転職した。日本敗戦後、八路軍が安東市と安東満鉄鉄道局を接収管理した。安東の「日本人会」の紹介により、章子さんはほかの6人の女性と一緒に、八路軍の後方病院である桓仁病院の助手看護婦となった。

前線の部隊が勝てば勝つほど、後方病院の関係者もより多くの道を歩かなければならなかった。章子さんをはじめとする日本人の女の子たちは、幾たびの困難を克服し、解放軍の軍隊とともに、山を越え河を渡り、数千キロの道のりを歩き、長白山地域から、遼河平原を通り抜け、華北、華中、華南地域を通り、広西省の南寧に到着した。

戦友たちといっしょだった清水章子さん

行軍の過程で、章子さんは「人民に奉仕する」教育を受け、日常の医療看護の仕事を担当すると同時に、住民たちを奮起させたりして、軍隊と人民の関係を深くすることに努力した。解放軍の思想を宣伝する過程で、章子さんは、中国人民解放軍の一員として、自分の仕事には非常に意義がある、と誇りに感じた。

1953年3月、章子さんは中国での7年間の生活を終え、日本に帰って、長年離れだった両親と再会した。同年、章子さんは日中友好協会に参加した。「中国の革命と新たなる建設に参加した日本人の中には、手柄を立てていない人もいるが、彼らも中国に大いに貢献した」と章子さんは語った。章子さんが言うように、新中国に自分の青春を奉仕した数多くの日本人の友人たちのことを、私たちは絶対に忘れず、永遠に心に刻むべきではないだろうか。

「チャイナネット」2007年9月25日

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