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植樹のために内蒙古に来た日本の老人、遠山正瑛氏

中国内蒙古自治区のエングベー砂漠開発モデル区には緑の使者という銅像が建てられており、その台座には「遠山先生は砂漠緑化の行動を世界平和へ通じる道と見なし、90歳のご高齢にもかかわらず、せっせと働き、志を変えようとしない。その心意気に頭を打たれ、その志を手本とし、その功積は表彰すべきである」という一段落の文字が彫られている。

砂漠の緑化に打ち込む

遠山正瑛氏は、日本の山梨県の人で、鳥取大学の名誉教授、農学博士、日本砂漠緑化実践協会会長である。砂地に緑の衣装を掛けるという意志を抱いて1990年に内蒙古クブチ砂漠のエングベーに来て、「地球村の村民」として、植樹を続け、内蒙古自治区の栄誉区民となり、国連の「人類貢献賞」を受賞し、エングベー砂漠開発モデル区の人々に「偉大な老人」とたたえられている。

22年前に中国を訪問した際、中国科学院との協力計画の実施に着手し、帰国後には日本砂漠緑化実践協会を創設し、砂漠開発日本協力隊を中国へ派遣することを始めた。

日中友好は口先だけのことではないと思い、中国の人たちと一緒に汗を流してきた。1990年に84歳の遠山氏はエングベー砂漠開発の総指導となった。その後には、鳥打帽を被って、雨靴を履き、作業服姿で、道具を入れた袋を背負う老人の姿がいつも砂漠開発区で目につくようになった。遠山氏は毎年8〜9カ月間砂漠に滞在し、毎日10時間近くも働いている。中国の砂漠開発を促進するため、氏は日本各地を講演してまわり、中国へ植樹に行こうとボランティアの人たちに呼びかけている。

10年間の努力を経て、砂漠開発モデル区内の2万㌶に及ぶ砂地の3分の1にすでに植物が植えられ、砂ヤナギと潅木が寒風の中ですくすくと育っている。

日本砂漠緑化実践協会によると、1991年から2001年にかけて、遠山氏は335グループ、6600余人のボランティアを組織し、3つの「百万株の植樹プロジェクト」を完成した。協力隊員には70歳を超えた老人もおり、また10歳ぐらいの小学生もいた。

苗木の不足が最大の困難

遠山氏は今回また30人の協力隊員を率いて来た。隊員たちは出発の前に氏の講演を聞くことを恒例としている。老人は「砂漠の緑化は世界平和に通じる道」であり、砂漠緑化の行動にも中国の伝説上の人物愚公のような、子々孫々に至るまでやめることはないという精神が必要だと堅く信じている。

しかし、遠山氏にも悩みがないわけではない。今年、中国とモンゴルの国境地帯で発生する砂嵐が北京、ひいて日本海を越えて、日本の上空までやってき、大雪山さえも黄色い砂に覆われていることが、人工衛星から写した地球の写真で分かった。現在地球の陸地の4分の1が砂漠化しつつあり、もしかすると、1000年後には地球の陸地の3分の1が砂漠と化するかもしれない。中国とアメリカの国土の半分が砂漠化している。「砂漠対策の実施に力を入れなければ、100年後には砂漠が北京に迫ってくるに違いない」と氏は興奮して語るのである。

もうひとつの悩みは苗木の不足である。苗木が無ければどうにもならない。「一株の苗木を植えたら2、3年後には役立ちます。苗木が無ければ、どうやって木を植えるのか」と老人は中国語で繰り返し言った。

中国の砂漠化について、氏はまた衛星から撮影した地球の高空の模様の写真の上に「毎日100万本植樹しなければ、中国は砂漠に負けてしまう。苗木をたくさん植えてください」と書いた。

遠山氏は中国のエングベーを第2の故郷と見なし、自分の生命の帰結の地とも決めている。この96歳の老人の砂漠緑化に対する執念はいかなる言葉をもってしてもそれを表現することはできないだろう。健康の秘訣はとたずねると「人生には休みの必要はない。僕は朝から晩まで働く。休みは死んでからでも遅くない」と教えてくれた。

「チャイナネット」2007年9月25日

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