1954年秋、日本諸政党のメンバーたちが参加した日本国会議員代表団はストックホルムで行われた「世界平和大会」に参加後、中国を訪問した。保守党派の若い議員たちには、中曾根康弘氏、園田直氏、桜内義雄氏などが含まれていた。そのうち、中曾根さんは最も活発な人で、日本の名曲『荒城の月』を独唱したり、口才があり討論を行ったりして、人々の注目を集めた。代表団の西村知己団長も、「中曾根さんは将来の首相になるかもしれない。彼は首相にふさわしい人物である」、と予想していた。28年後、西村団長の予想が事実となった。1982年11月、中曾根康弘さんは鈴木善幸首相の後任の首相となった。
1984年3月下旬、中曾根首相は中国を訪問した。歓迎レセプションで、鄧頴超委員長は中曾根首相に、「1973年、中曾根首相は通産省産業大臣として訪中した際、周恩来総理と会見しましたね。周恩来総理は生前数多くの外国の賓客と会見しましたが、その状況を私に語ったことは非常に少ないです。しかし、このときは、周恩来総理は中曾根さんが自分に残した深い印象を私に話してくれました。中曾根さんは年が若いが、才能があり、将来有望なの政治家なので、将来の首相の候補者となるに違いない、と語っていました。現在、周総理の予想が実現しました。私は自ら周恩来総理の評価を中曾根首相に伝えることができて、本当にうれしいです」、と語った。
中曾根さんが1973年に周恩来総理に残した印象から見て、当時、西村団長の予測は道理に合っていたと言える。
「チャイナネット」2007年9月30日