自分の村のことが解決されたとはいえ、王淑栄さんはずっと、ほかのところでは相変わらずこのような問題をかかえているかも知れないと考えていた。2002年8月に、王淑栄さんは国務院に手紙を出し、2003年1月21日に回答の書簡を受け取った。喜ぶと同時に、王淑栄さんは別に満足してはいなかった――もしこの規定が削除されないならば、根本から地方政府の農民に対する金銭の取り立てを根絶することができず、農民の飼育業発展は依然として制約されることになるではないかと考えた。
2003年5月、王淑栄さんはさらに全国人民代表大会常務委員会に手紙を出し、内容は「『河北省土地管理条例』と『河北省都市・町国有土地使用権の委譲・譲渡の実施方法』に対し審査を行うことに関する提案」であった。2004年4月、全国人民代表大会常務委員会弁公庁は河北省人民代表大会常務委員会弁公庁に手紙を送り、省人民代表大会常務委員会が『河北省土地管理条例』の関連規定に対し改正を行うよう提案した。2005年5月、法律に定められたプログラムを経て、河北省第10期人民代表大会常務委員会第15回会議で地方法規改正案が審議され、採択された。
「アラさがし」が好きなこと――
「みんながすべて法律をよくわきまえる『アラさがし』となるならば、すべてはうまくいく」
王淑栄さんは「アラさがし」であり、1日じゅう人と張り合っていると言う人もいた。王淑栄さんはそういう言い方には同意せず、「誰もが法律を守り、監督を行い、すべて法律をよくわきまえる『アラさがし』になるなら、世の中はよくなる」と語っている。
1998年、国務院は各地農村の郷クラスの統一資金調達額、村クラスの上納税金留保額が1997年の基準を上回ってはならないよう要求した。1997年、五百戸鎮は農民に一人74元ずつ徴収したが、1998年に鎮政府の農民に渡した「お知らせ」の上に書かれていたのは84元であった。王淑栄さんはそれを承知せず、国務院の通達を7枚の紙に写して街頭に貼り出し、すべての人に国の政策を知らせた。このため、王淑栄さんはとうとう町全体の3.7万人の農民のために1人ずつ余計に取り立てた10元を取り戻した。
2000年、香城屯村では初めての村民委員会メンバーの直接選挙が行われた。王淑栄さんは783票を獲得し、60歳近くになって「政治の舞台」にデビューし、郷範囲内で初めての女性の「村の幹部」となった。