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東アジアアイデンティティー育成の鍵となる一歩
発信時間: 2010-03-03 | チャイナネット

21世紀に入り、政府主導の歴史共同研究が序幕を開けた。まず日本と韓国の歴史共同研究が02年に開始。05年に第1期研究が終わり、06年から第2期研究が始まった。中国と日本の歴史共同研究は06年末に開始。09年末に第1期研究の終了を宣言し、研究報告を発表した。現在の研究報告は双方の学者が各自の研究成果を記述する形式に止まっているが、米国人記者が指摘したように「両国の委任した歴史学者が、論争の多い歴史問題について初めて冷静に研究し、日本軍が戦時中に暴行を犯したことをはじめて一致して認め、両国間に敵意の存在する主たる原因が日本による中国侵略の不法行為であることを認めた。これが共同研究の主たる成果」なのである。(文:歩平・中国社会科学院近代史研究所所長))

アジアの「同一性」に関する認識は人によって異なるが、東アジア地域が漢字文化と儒教文化に象徴される文明圏の影響下にあることは一般に留意されている。だが、たとえ同一の文明圏の中にあっても、各民族・国家の価値観の違いは依然大きく、異なる文明の派生すらあることも、多くの研究が証明している。したがって、これだけをもって東アジアのアイデンティティーを証明するのはやはり説得力に欠ける。東アジア秩序の歴史的な変遷の過程からは、東アジアアイデンティティー構築の困難さと複雑さが見てとれる。共同体意識の育成の面では、まず歴史問題のもたらす障害の解決が必要だ。そして、国境を越えた歴史認識の構築が、その重要な一歩となるのである。

近代以降、日本は英国との同盟体制の助けを借りて、ロシア勢力の南下を阻止すると同時に、地域の「中心」に駆け上り、米国の支持を取り付けた後に、中国に侵入した。表面的には、主権観念を基礎とる「万国公法」の定める国際関係秩序の原則が東アジアの伝統秩序に取って代わる傾向が示されたわけだが、実際に主導的地位を占めたのは、資本主義による原動力とその強制手段たる武力、すなわち「弱肉強食」の原則だった。

第2次世界大戦後の冷戦時代、東アジアの国際関係は長期間、米国とソ連を頭とする二大陣営の対立に従属したため、東アジアアイデンティティーの構築は当然のことながら不可能だった。だがここ20年来、国際化と経済のグローバル化の衝撃の下、ポスト冷戦時代の東アジア地域の内部に重要な構造的変化が生じている。現在、東アジアの主要国である中日韓のパワーバランスには重大な変化が生じているのだ。

今や東アジアの国家間、国民間の緊密な往来と交流によって、東アジアアイデンティティーの構築における3つの大きな障害、すなわち「地理的障害」「歴史的障害」「同一性の障害」が乗り越えられつつある。東アジアアイデンティティー構築の好機を迎えたと言っていい。

だが「中日韓という3つの経済大国間の経済相互依存関係はどんどん緊密化しているが、『共同体意識』の形成はまだ始まっていない。第2次大戦の終結からすでに60年が経つが、中日、日韓の間には、歴史認識、教科書、靖国神社参拝といった問題をめぐり、依然として政治的、感情的に大きな溝があり、共同体意識の萌芽を妨げている」と明確に指摘する声もある。

「人民網日本語版」2010年3月2日

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