政治・安全>
japanese.china.org.cn |03. 03. 2022

「ウイグル人権問題」の虚実

タグ: ウイグル人権問題
人民中国  |  2022-03-03


横浜国立大学名誉教授 村田忠禧(談) 


今年の北京冬季五輪開幕式で、ウイグル族の選手が聖火リレーに起用されたことが話題を呼んだが、一部の西側メディアはこれを、中国の「ウイグル族の人権問題」をめぐる世界への挑発だとしている。 

しかし聖火リレーについては、「中国はウイグル族に対して弾圧や不当な扱いを行っている」という西側諸国の主張に対し、全ての民族は平等だとする中国の回答に過ぎない。中国には55の少数民族が暮らしているが、ウイグル族もその中のひとつであり、民族はお互いに平等であり対等であり友好的であるということの証拠だというのが私の解釈だ。西側メディアの、意図的にことを捻じ曲げ、対立を煽るような報道姿勢は正しくない。 

「一帯一路」の要衝 

新疆で特にウイグル族が集中しているのは南疆だが、地理的条件から外の世界との交流が少なく、閉鎖的社会になりがちなため、発展から取り残されてしまった感がある。閉鎖的社会は貧困に陥るケースが多く、テロの温床にもなりやすい。テロや貧困をなくすために政府が財政的支援をいくらやっても、それだけでは不十分だ。金銭援助は本人たちのやる気にはつながらないからだ。よって今は、金銭援助の代わりに自ら働いて生活をより豊かにするための政策が採られている。 

中国で特に重視すべきは、すでに豊かになった省などが支援を行う「援疆対口支援」が行われていることだ。豊かになった省が地域を分担し、漢語教育、就業知識や技能教育、沿海部企業の新疆進出による就労機会の創出という産業振興などを行い、新疆の貧困脱却を試みている。新疆の安定と発展のために各省や市が支援を行った結果、現在の新疆の状況はかなり改善された。 

今後さらに良くなる可能性がある。なぜなら中国は「一帯一路」という陸のシルクロードの案を2013年に、翌年には海のシルクロードの案を出しているからだ。陸の要衝は新疆になるため、新疆に対する投資を後押しする要因となっている。鉄道も建設が進んでいる。16年3月の中欧班列開通以降、新疆のホルゴス鉄道ターミナルは、ドイツ、ポーランド、トルコ、ロシアなど18カ国と45都市を結ぶ国際物流のハブとなっている。 

仮に新疆で人権弾圧が行われていたら、新疆の発展は実現不可能だ。21年6月の国勢調査によると、新疆在住のウイグル人の総人口は1162万4257だが、西側が言うように、100万、あるいは300万人に対して強制労働、強制収容、虐殺が行われているとしたら、少なくとも一族に1人、あるいは2家族に1人は被害者がいることになる。そんな状況になれば、絶対に難民が出るはずだ。周辺国に逃げれば、同じ民族の同胞がいる。例えばカザフスタンにはウイグル族に近いカザフ族が多く住んでいる。ウイグル族が不当な扱いを受けていることが事実なら、それらの民族が黙っているはずがない。しかし現時点では中国、あるいは新疆とカザフスタンの関係は非常に良好だ。ここからも、新疆における人権弾圧が起きていることはあり得ないというのは、常識的に見てもわかるはずだ。 

乗っ取られた日本の国会 

中国の旧正月に当たる旧暦の1月1日、日本の国会は残念なことに、いわゆる「新疆ウイグル等における深刻な権状況に対する決議案」を可決してしまった。これは何もいいことを生まないし、日本にとっても悪いことだ。中国を名指しこそしていないものの、新疆、香港、さらには南モンゴルという言い方で内モンゴルを否定している。日本で活動するモンゴルの、あるいは新疆の分裂主義者の言葉を真に受け、それを国会の決議で採択するなど、日本の国会が分裂主義者に乗っ取られたようなものだ。本来なら国会議員は政治のプロとして、事実に基づき正しいことは正しい、正しくないことは正しくないと表明すべきなのに、それをしないのは国会議員のレベルが下がっている証拠だと私は思う。 

これは日中関係にも悪い影響を与えているので、我々はこうしたことを野放しにしてはいけないのだが、困ったことに、日本では中国の現実を知ろうとする動きが非常に少なくなっている。特に残念なのは、コロナの影響で中国に行けなくなっていることだ。中国の現実を自分の目で見、中国の人々と意見交換を行えば、中国は民族弾圧など行っていないということがすぐにわかるはずだが、今はそれが極めて難しい。西側はそれに乗じて好き勝手をやっているという気がする。 

時代で変わる人権の課題 

人権は超時代的なものではなく、経済的、社会的、文化的な状況を背景に変わっていくものだ。中国でも改革開放初期と現在では随分違う。昔は小康社会の実現が第一で、とにかく衣食住を満たす社会を作ることが大切だった。21世紀に入って改革開放が順調に進み、中国の人々は衣食住に困らなくなった。衣食足りて礼節を知ると言われるように、今の中国の人権の課題も昔とは異なるものになっている。 

中国は今、法治国家の建設に力を入れ、様々な人々が平等に、友好的に、平和的に、安定的に暮らせるような制度づくりを試みている。経済状態が悪く、生きることが第一であった時代を終え、今や豊かで人間らしい生活が課題だ。そんな中で、様々な素晴らしい実践が生まれ始めている。 

私は日本人が中国から学ぶべきことはたくさんあると思っている。例えば少数民族に対する政策だ。中国には少数民族が55も存在するが、文化、宗教などでもそれぞれが多種多様だ。そこで中国は民族区域自治制度というものを設け、民族の多様性を守りながら統一した国家にする工夫を行っている。 

また、人民代表大会という制度は、日本などのように選挙で選ばれた人による議会制度ではなく、直接選挙と間接選挙をうまく組み合わせたやり方だと思う。中国では県クラスまでは直接選挙が行われるが、それ以上のレベルでは間接選挙だ。それにより、どの民族でも必ず1人は全国人民代表に選ばれている。この制度によって、各民族が民族としての誇りを持つことができ、特有の言語や文化を学べる保障もできる。これは非常に良いことだ。よって、選挙がないのを理由に中国は民主国家ではないとする言説はおかしい。 

日本にもアイヌなどの少数民族がいるが、正式に少数民族として認めているとは言い難い。例えばアイヌには国会議員の枠がない。たまたま以前、国会議員の中にアイヌの人がいたが、それはアイヌとして選ばれたわけではない。また、小学校などでアイヌの人々に自分の民族の歴史や文化を教える制度があれば、アイヌとしての誇りを持って生きていけると思うが、そんな制度もない。アイヌにとどまらず、在日中国・朝鮮人や沖縄の人々などのマイノリティに対する配慮が、日本には足りないのだ。そういう点で、中国は日本よりも進んでいると言えよう。 

人権問題解決への道 

人権は確かに普遍性があるが、個々人や国民にとっての人権問題には具体性があり、抽象的なものではない。各国それぞれの背景がある。本当に人権侵害が行われていて、その国に解決能力がないという事実が確認できるなら、国連などの国際組織で決議をとって解決させるべきだが、現在米国などがやっていることはそのような筋道が通ったものではなく、人権問題を口実にした内政干渉であって、中国の現実に対する理解が足りなさすぎる。 

それぞれの国に人権問題は存在する。各国はまず自国の人権問題を解決すべきだ。米国は発砲事件が頻発しているが、銃で身を守らなければならないような社会を改めることをまずすべきで、実際を知らない他国の人権問題に干渉する前に、まずは自国の人権問題に目を向けるべきではなかろうか。 

中国と日本、社会主義と資本主義とではシステムが違う。それを念頭に、相手国の現実を知ろうとする努力が必要だ。それができれば、例えば中国の人民代表大会の利点も理解できるだろう。 

(呉文欽=聞き手、構成) 

  

「人民中国」より 2022年3月3日