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japanese.china.org.cn |08. 10. 2022 |
二十大代表の劉秀祥氏、山間部の生徒のやる気を引き出す
貴州省望謨県実験高中党総支副書記、副校長の劉秀祥氏は近年、新入生の入学シーズンになると生徒に向け、母を背負い学校に通ったエピソードを語る。また幼い頃に暮らしていた古い木の家に生徒を連れて行く。劉氏は自分の経験により、「奮闘の力を信じる」ことを生徒に教える。
父は劉氏が4歳の時に病で亡くなった。母は悲しみのあまり間欠性爆発性障害を患い、一人で生活する能力を失った。劉氏は、「母の世話をするため、中学校から大学まで母に寄り添った」と話す。
努力は人を裏切らない。劉氏は2008年に山東省の臨沂師範学院(現在の臨沂大学)に合格した。劉氏の「母を背負い千里離れた大学に上がる」というエピソードは、メディアの報道により広く知られるようになった。
大学時代の劉氏はお金に余裕がなかったが、人助けをやめなかった。劉氏はアルバイトでの収入の一部を貴州省に送り、中学生の頃にゴミ拾いをしている時に知り合った3人の子供が学校に通えるよう資金援助をした。
劉氏は、「大学卒業後にある企業に入社し、当初は故郷に帰るつもりがなかった。自分と母が生活できればそれでいいと思っていた」と語る。ところがある日、劉氏は資金援助した子供から電話でもう勉強したくないと言われ、何度も説得したが聞き入れられなかったという。
この電話は劉氏に衝撃を与えた。このような中学校で学業を諦めようとする子供が故郷にはまだ多くいるはずだと意識した。そこで劉氏は2012年に職を辞し故郷の望謨県に戻り、教鞭をとった。より多くの子供を山から送り出そうとした。
劉氏は、「私自身が学問によって山から出た。私が戻ってきたのは子供と保護者に、学問によって運命を変えられると伝えたかったからだ。教育に取り組むことで、生徒の奮闘の原動力を引き出すべきだ」と話す。
劉氏は学問を勧めるため、よくバイクに乗り村々をめぐり、自身のエピソードをスピーカーで流した。劉氏はその後、望謨県のすべての郷・鎮をめぐり、バイクを7、8台も乗りつぶした。劉氏のおかげで1800人超の生徒が学校に戻った。
教育に従事してから10年に渡り、劉氏は日々の教育などの活動に取り組むほか、全国各地を訪れ人々を励ます公演を行っている。劉さんは現在まで公益目的の公演を2000回以上行っており、自身の経験によって多くの人に夢を叶えるよう励ましている。