江西省文物考古研究所と北京大学考古学部の学者や専門家はこのほど、国家重点文物保護単位に指定されている江西豊城の唐代(618〜907年)の洪州窯遺跡で、紀元1世紀から4世紀(後漢、三国、西晋の時代にあたる)の磁器窯群と青磁器を発見した。この発見により、江西豊城一帯が中国でも最も早い時期に磁器生産が始まった地域であることが実証された。また、出土した西晋(265〜316年)の匣鉢と優れた磁器の数々は、それまで5世紀(南朝時代)に始まったと考えられていた匣鉢を使った焼成技術が、実は3世紀にすでに行われていた事実を明らかにした。匣鉢の利用は、中国の陶磁器製造の歴史における一大技術革新といえるものである。
洪州窯は唐代の6大名窯の一つとされ、考古学の専門家らが前後3回にわたって重点的な調査を行った。3回の調査では発掘されたポイントは27カ所、その面積も合計568平方bに及ぶ。磁器生産に用いられた道具や青磁器が合計11985点発見されたほか、隋代、唐代の窯が5基見つかり、そのうち保存状態の良かった2基はすでに保護のための対策が施されている。
出土した器物としては青磁の壺、鉢、碗、盂(口の広い鉢のような器)、硯、杯、盞(小さな杯)、豆盤、唾壺、香炉、盤口壺、盤、七聯盂などがある。器はきめ細かく、釉薬の色つやも素晴らしい。ここで見つかった青磁の双水盂圓硯は、非常に珍しいものである。
洪州窯の青磁器は、劃花、印花、刻花、堆塑などと呼ばれる独特かつ高度な技術で模様が施されている。それらの模様はいずれも唐代に流行したものだ。こうした青磁器の種類の豊富さ、造型の奇抜さ、乱れのない模様や装飾などは、洪州が唐代の青磁製造の技術レベルにおいて先進的な位置にあったことを物語っている。
洪州窯から出土した匣鉢は、その時代ごとに明確な違いがある。先にも述べたとおり、洪州窯では遅くとも西晋時代には匣鉢が使われていたことが分かり、匣鉢を使った焼成技術の歴史が従来の学説よりずっと早く始まっていたことを証明した。調査発掘を通し、洪州窯の規模は大きく、豊城市に属する5つの郷鎮と18の村に、合計20カ所以上の窯が分布し、それぞれかん江によって結ばれていた。
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