淮北市で隋唐大運河の考古学的新発見
(2000年4月9日)


    安徽省淮北市ずい渓県にある柳孜集で行われていた考古学調査で、重要な発見があった。合計900平方bに及ぶ二つの発掘ポイントから、唐代(618〜907年)の沈没船、宋代(960〜1279年)の埠頭が見つかった。柳孜集は、古代中国の最も重要な水利工事として知られる大運河の遺跡。沈没船と埠頭は、大運河の南側に埋まっていた。全国各地の陶磁器などの文化財も出土した。

    北京と杭州を結ぶ大運河は、全長1794`。海河、黄河、淮河、長江、銭塘江の5大水系を縦断していた。紀元前5世紀(春秋末期)に工事が始まり、7世紀(隋)と13世紀(元)に二度の大規模な拡張工事が行われた。自然の河川を巧みに利用しながら、それぞれの間に水路を造って結びつけている。7世紀から13世紀に至るまで、中国の交通運輸の大動脈として大きな役割を果たしていた。

    今回調査が行われた柳孜集は後漢(25〜220年)の時代に造られ、隋(581〜618年)、唐、宋の3代において、淮北地域の経済・軍事・文化の中心として栄えた場所だ。

    1999年5月4日、安徽省考古所が派遣した調査チームは、現地で行われた建設工事の際に見つかった文化遺跡の発掘調査を開始し、遺跡保護のための対策をとった。

    200日余りに及ぶ作業を経て合計900平方bが発掘され、大運河の川底に埋まっていた沈没船が見つかった。今回発見された3艘の沈没船のうち、2艘は木板構造の船だった。うち1艘はへさきが破損しており、その全長は船尾の舵を含めて12.6b。別の1艘は堂々たる形をしており、全長は23.6bもある。3艘の船の中で最も保存状態が良いのは、大木を彫り抜いて造った独木船で、船体の長さは10.6bあった。専門家は、出土した地層や一緒に見つかった磁器から、これらの船は北宋(960〜1126年)以前のものであると見ている。大運河の遺跡から、このようにたくさんの沈没船が見つかったのは初めて。

    また、今回の調査では宋代の石造りの埠頭も見つかった。運河の南側に沿って造られた長方形の立体建築で、上部は一部傷んでいる。大きさは東西が14.3b、南北9bで、運河に面していた北側は切り立っており、その高さは5.5bある。古代建築の専門家は、この埠頭は貨物用埠頭だったと見ており、この発見は唐・宋代に大運河で水運制度改革が行われたことの証拠となりそうだ。つまりこの埠頭は、もともとは出発点から目的地まで同じ船で一遍に運んでいたが、この時期にはすでに航路を分断してリレー方式で運ばれていたことを物語っているからである。これは中国古代大運河でも初めての発見だ。

    柳孜集遺跡ではまた、陶器、磁器、鉄器、銅銭など、大量の文化遺物も出土している。中でも磁器が最も多く、唐・宋の時代に全国的に有名だった10以上の生産地の製品が含まれている。全国各地の磁器などがここで見つかったことは、大運河が公の水運だけでなく、民間の商業、交通分野でも、各地の人や物を結ぶ上で重要な役割を果たしていたことを証明している。同時に、柳孜集が当時、大運河河岸の重要な商業都市だったことも明らかだ。

    専門家は柳孜集での発見を、大運河遺跡での考古調査における最初の重大な発見と評価している。今回の調査は、中国の運河史、交通水運史、水利史、さらには隋、唐、宋の3代の歴史研究に、重要な実物史料を提供した。同時に、中国古代の政治、経済、文化、商業、旅行、磁器の輸出などの問題を研究する上でも、極めて重要な考古学的新資料を提供したと言えそうだ。