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昔の繁栄を再現する峨眉山の「金頂」

 四川盆地の西側に位置する峨眉山は、観音菩薩の道場・浙江省の普陀山、文殊菩薩の道場・山西省の五台山、地蔵王菩薩の道場・安徽省の九華山と並ぶ中国四大仏教名山の一つ、普賢菩薩の道場として知られ、毎年300万人以上が訪れる仏教の聖地である。


四面十方普賢金像
四面十方普賢金像の一部

 峨眉山を造り出したのは、2000万年前のヒマラヤ造山運動である。早くは一万年前、ここではすでに人類が活動しており、4000年あまりの歴史があることがわかる。

華蔵寺の全景(前は大雄宝殿、後ろは金頂)
普賢菩薩の乗り物である六牙白象、遠方の雪山は海7556メートルのゴンガ山
銀殿、臥雲庵
金メッキを施した金殿の扁額

 峨眉山の主峰は、海抜3099メートルの万仏頂であるが、もっとも有名なのは俗に金頂と称される海抜3077メートルの千仏頂である。

 漢代(紀元前206~紀元220年)まで、峨眉山はかつて道教の「第七洞天」であった。『峨眉山志』の記載によると、後漢永平6年(63年)、蒲という姓の老人が、家の近くの雲窩(現在の初殿の近く)で薬草を採集していたところ、足跡が蓮の花のような鹿に出会った。鹿を追いかけて、峨眉山の頂上(現在の金頂)までやって来ると、彼は不思議な仏光(或いは宝光とも呼ばれるブロッケン現象)を見た。自分は菩薩に出会ったのだと蒲老人は思い込み、たいへん驚喜して、自分の住まいを仏を祭るための普光殿(今の初殿の前身)に建て替えた。

 金頂に普賢菩薩が姿を現したという言い伝えが広まると、峨眉山では次第に仏教の勢いが盛んになり、道教より優勢となった。

四面十方普賢金像の中に祀られている阿弥陀仏の金像

 中国において、仏教の振興は、歴代帝王による推進と切り離せないものであり、峨眉山も例外ではなかった。唐太宗(在位627~649年)李世民は仏教を篤く信仰した。彼は秦王であったとき峨眉山の千仏頂に登り、仏を参拝した。唐徳宗(在位780~804年)李適は、「峨眉山を普賢聖地とする」と定めた聖旨を下した。宋朝の2代目の皇帝・宋太宗(在位976~997年)趙炅は太平興国5年(980年)に、宋太祖(在位960~975年)趙匡胤が公布した仏像の鋳造を禁じた政令に背いて、成都に宦官を派遣して金メッキの巨大な普賢菩薩の銅像を鋳造し、峨眉山の普賢寺(現在の万年寺)に安置した。このことがさらに峨眉山の普賢崇拝を促進した。明神宗万暦帝(在位1573~1619年)朱翊鈞は歴代の帝王のうち、峨眉山をもっとも支持した皇帝である。峨眉山の寺院の拡張や修繕のため、彼は三度にわたって詔書を下した。

 峨眉山の仏教は、明、清の時代に真っ盛りになり、山全体には150余りの仏教寺院があった。明の万暦30年(1602年)、西蜀藩王の寄進を受け妙峰禅師が創建した銅殿は、峨眉山の千仏頂に建てられた。銅殿は瓦、柱、門、櫺(窓格子)、窓及び四方の壁がすべて、金をなじませた銅で作られたもので、太陽の光に照らされてキラキラと金色に輝くため、金殿または金頂と呼ばれるようになった。そして、金殿の建てられた千仏頂もまた金頂と呼ばれるようになった。

華蔵寺大雄宝殿内に祀られている三世諸仏 中国各地からやって来る徳望ある高僧が、四面十方普賢菩薩金像に開眼法会を行う 開眼法会に参加した日本の清水寺の僧 チベット仏教を信仰する信徒たちは、金頂の平らなところで「ロンダ」と呼ばれる馬、龍、獅子、トラ、オオトリなどが描かれた色紙を空に向かってばらまき、吉祥を願う

 金頂には峨眉山の精華が集まっている。最盛期には、錫瓦殿や銅瓦殿、金殿、光相寺、祖殿などが、峨眉山最大の建築群を形作った。

東晋(317~420年)に建てられた万年寺のレンガ殿にある、宋太宗趙炅の命で鋳造された象に乗った普賢菩薩の銅像(写真・呉健)

 近代の戦争や動乱、天災は、峨眉山や金頂にも損害をもたらした。清の光緒16年(1890年)、金殿は火災で倒壊し、懸崖から落ちてしまった。その2年後、照月和尚は元の場所に大殿を再建した。構造はレンガづくりに変わったが、殿頂はやはり金メッキであった。折あしく1923年、1931年に発生した2度の火災によって、金殿は再びに崩壊してしまった。1953年、人民政府は金頂に重点的な修繕を施し一新したが、1966年に始まった「文化大革命」が再び莫大な損害をもたらした。1986年から1989年にかけて、金殿は再度修復されたが、昔日の光り輝くような華麗な趣とは著しく隔たったものであった。

明代の磁器製の仏(写真・呉健)

 2003年の元旦から、国務院の批准を受けた『峨眉山金頂風景区建設の計画』に基づいて、金頂の修繕建設工事が始まった。2006年春、金殿、銀殿、銅殿及び高さ48メートル、重さ660トンの四面十方普賢菩薩金像からなる新たな金頂が、人々の目の前に姿を現した。

明の万暦年間に建てられた峨眉山第一の寺――報国寺(写真・呉健)

 2006年6月18日、中国仏教協会、峨眉山管理委員会らによる「峨眉山金頂十方普賢開眼法会および華蔵寺復元落成祝典」が金頂で開催された。中国各地からやって来た徳望のある高僧、各仏教名山の長老、また日本や韓国、シンガポール、インドネシアなどの高僧、僧徒、信徒など合わせて3000人以上が金頂に集まり、この開眼の祝典に参加した。

 現在の金頂には、華蔵寺と臥雲庵という二つの寺がある。華蔵寺の大雄宝殿は西向きに建っている。大殿の瓦、梁、柱、門、窓はすべて銅製であり、その中に三世諸仏が祀られ、建築全体が荘厳で雄大である。華蔵寺の後ろにある金殿は、ひときわ高い所にある存在であり、大きくはないが、その頂、梁、柱、門、窓、壁はすべて金メッキした銅製のもので、光り輝いて壮麗である。臥雲庵は華蔵寺の北側の台地に位置する、唐代に創建された尼寺である。かつて屋根が銀色の錫瓦で覆われており、峨眉山の山頂も冬に積もった雪で一面まっ白になり、さらに峨眉山は仏門の「銀色世界」であるため銀頂とも呼ばれている。ちなみに中国四大仏教名山のその他の3つの山は、五台山が「金色世界」、普陀山が「瑠璃世界」、九華山が「幽冥世界」と呼ばれる。現在では殿全体は銀メッキが施されており、金頂から見下ろすと、銀色の光がちらちらときらめき、さっぱりと落ち着いている。

峨眉山仏教の貴重な三大宝物:①御印。万年寺のレンガ殿建造時に明の万暦皇帝より直々に賜ったもの②貝葉経。明の嘉靖年間にシャム(現・タイ)の国王から贈られたもの③仏牙。明の嘉靖年間にセイロン(現・スリランカ)の友人から贈られたもの(写真・3枚とも呉健)

 金頂の広場中央に聳え立つ四面十方普賢菩薩金像は、現在世界最大の金銅仏である。六牙白象に載せられた蓮台の上に座る普賢菩薩は、顔が東、南、西、北、東南、東北、西南、西北、上、下の十方向に向かっており、普賢菩薩の十大誓願を意味している。それぞれ、礼敬諸仏(諸仏を敬い礼拝する) 、称賛如来(如来を称賛する) 、広修供養(諸仏にあらゆる供養を尽くす)、懺悔業障(過去の罪科を悔い改め、仏に懺悔する)、随喜功徳(功徳を喜ぶ)、請転法輪(諸仏の説法を請い願う) 、請仏住世(諸仏がこの世に住して導いてくれることを願う)、常随仏学(常に諸仏に学ぶ) 、恒順衆生(恒に諸衆を敬う) 、普皆回向(あらゆる功徳をあまねく振り分ける)というものである。金像の中は、阿弥陀仏を祀る大殿である。海抜3000メートルを超える山頂で、これほど雄大な金属の塑像を鋳造したこと自体、まさに奇跡である。近年、峨眉山を訪れる観光客と、仏を拝み、お礼参りにやって来る信徒は、毎年300万人以上に及ぶ。

 ユネスコ世界遺産委員会の専門家は峨眉山の寺院群を「峨眉山のひとつひとつの寺すべてが、世界文化遺産に登録されてしかるべきものである」と評価している。

「人民中国」より 2007年7月3日

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