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japanese.china.org.cn | 10. 07. 2015

神秘的な四川省の「色爾古蔵寨」

タグ: 四川 色爾古蔵寨 


チベット高原の南東に位置する色爾古蔵寨は、山脈が横断する黒水県にあり、かつて軍事拠点の要でもあった。集落は山に沿って建てられ、遠くから見ると山と同色の物の輪郭だけが際立っている。ここに近づくには、自然が作った防御線である猛河と五里溝を突破しなければならない。

色爾古蔵寨は岷江上流において最も早い文字による記載がある村だ。漢史は、この村の早期の姿を蚕陵(現在の四川省茂県)の遥か彼方にあると記す。1933年に松潘大地震が発生し、蚕陵は岷江に沈んだ。色爾古蔵寨は、岷江が存在したことを唯一示すものだ。

西暦689年、唐朝は色爾古蔵寨に悉州と左封県の2つの政治機構を設置し、州府を建設した。719年、唐朝は同地に500名の守備隊を置いた。吐蕃と一進一退の戦いを繰り返すなか、768年には吐蕃に侵攻された。ここから色爾古蔵寨はチベット文化の影響を受け始める。元朝時代になると同地は叠溪千户所(現在の四川省茂県)の管轄となった。流動的な元朝の政局が辺境の地に影響を与えることは少なく、チベット文化との融合はさらに進んだ。明朝時代に入ると、土司(土地の有力者)が統治することになる。文化史的には「白石文化」と「嘉毧文化」の融合が始まった時期である。土司の統治が清代まで続く中、色爾古蔵寨はいよいよチベット文化の影響を深めていく。1930年代、文化の衝突と融合の中で、色爾古蔵寨は独特な文化と風貌を持つようになった。歴史の激動に振り回されてきたためか、開放的で進取の宗教精神が形成されていった。

色爾古蔵寨という名前には、野性的な魅力がある。当地の言葉で「色爾」はヒョウを表す。「古」はオオカミの意味だ。昔、この場所は深い森林に覆われており、野生動物がよく出没したという。そこからこの美しい名前が付けられたという。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年7月10日

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