第二次大戦中に中国を支援した米軍兵士の遺骨引き渡し式が、四川省の建川博物館で開かれた。米国の代表団は、チベット自治区林芝市波密県易貢郷若果氷河に72年間眠っていた、「駝峰(ラクダのこぶ)航線」の米軍飛行士の遺骨を受け取った。
同博物館の樊建川館長は午後3時、アメリカ国防総省捕虜・行方不明者局の高官に、第二次大戦中の米軍兵士の遺骨を引き渡した。駐成都米国総領事のレイモンド・グリーン氏が、遺骨箱に米国国旗を立てた。中国外交部北米大洋州司の井泉参事官は、グリーン氏と引き渡し証書に署名した。会場の全員が、1分間の黙祷を捧げた。
井氏は引き渡し式で、「今年は世界反ファシズム戦争勝利70周年だ。70年以上前、中米の両国民は肩を並べ血を流し奮戦し、最後に勝利を手にし、人類の正義・自由・平和を守った。米国人の私心なき援助と深い情義を中国人は忘れない。今回の遺骨引き渡し式は、歴史を銘記し、英雄を偲び、平和を愛し、未来を切り開くため開かれた」と述べた。
グリーン氏は、「中米両国は長年に渡り、第二次大戦中の米軍兵士の遺骨の捜索で、良好な協力を維持してきた。我々はそのことについて、深く感謝を表する。米国は関連機関を通じ遺骨の確認を行い、犠牲者の身元を特定し、遺族に知らせる」と話した。
波密県の猟師は1993年9月、人跡未踏の若果氷河の標高4100メートルの地点で、墜落機と3人の遺骨を発見した。中米双方の調査により、これが1943年冬に墜落したC-87輸送機と乗組員の遺骨であることが確認された。両国はその後北京市で、米軍飛行士の遺骨の引き渡し式を盛大に執り行った。条件に限りがあり、多くの飛行機の残骸を運ぶことができなかった。
これらの遺骨は今年8月上旬、波密県から四川省の成都市に送られた。飛行機の残骸は、建川博物館の「フライングタイガース館」に収蔵された。解放軍档案館(公文書館)の職員は9月6日、成都市の協力を受け遺骨収集作業を完了し、公安部物証鑑定センターの検査に送った。遺骨は欧州人という鑑定結果が9月20日に明らかになり、中国外交部は9月21日にこの結果を米国側に報告した。
第二次大戦中の「駝峰航線」は1942年に切り開かれ、終戦まで維持された。これは同盟国が中国に戦略物資を輸送するため切り開いた、「空の生命線」だ。米軍飛行士は約65万トンの戦争の物資を輸送し、飛行士と乗組員の計1579人の死亡・行方不明者が出た。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年10月22日