湖北省武漢市の「八七会議会址」記念館で、トウ小平氏の生誕100周年を記念する写真展が開催されている。それによると、トウ小平氏が生涯に使用した3つの名前――トウ先聖、トウ先賢、トウ小平のうち、小平の名は、1927年ごろの武漢での任務に由来するものという。
トウ先聖は、両親がつけたトウ小平氏の本名だ。「先聖」の名前には、息子が聖人のように成長して、一族や先祖に栄光をもたらすようにという、当時の中国人の大多数に共通する両親としての願いが込められている。
トウ小平氏は5歳の時、村の私塾に通い始め、伝統的な「啓蒙教育」を受けることになった。私塾の教師は「先聖」という名を「聖人・孔子に対する尊敬の念にやや欠ける」と考え、あらためて「トウ先賢」という名前を付けた。トウ小平氏が少年時代からフランスやソ連での留学時代、1926年に帰国して西安中山軍事学校に就職するまで、ずっと使っていたのがこの名前だ。1927年、トウ小平氏は武漢の中国共産党中枢部で秘密工作に参加するようになり、任務上の必要から名前を「トウ小平」に改めた。
「人民網日本語版」2004年8月19日