旧日本軍による住民虐殺事件「平頂山事件」の生存者の李佩珍さん(96歳)が21日夜、遼寧省瀋陽市で病気のために死去した。李さんの死去で「平頂山事件」の生存者がまた1人減った。
1932年9月16日、遼寧省撫順市平頂山村は旧日本軍に突然包囲された。旧日本軍は高齢者や女性、子供を含む罪のない住民3千人以上を平頂山のふもとに追い詰め、凄惨な大虐殺を行った後、証拠隠滅のため、焼却した遺体を山を崩して埋めた。さらに、火を放って村の家屋800棟以上を焼き払った。これが国内外を震撼させた「平頂山事件」だ。
この虐殺事件の生存者は31人で、李さんはそのうちの一人。李さんが亡くなり、健在の生存者は5人になった。
事件当時、李さんは23歳で、妊娠6カ月だった。旧日本軍の機関銃に撃たれたが命は取り留めた。お腹の子供が生きる勇気を与えてくれたという。旧日本軍の兵士が死亡を確認するために刀で死体を突いて回り、李さんもこのときに背中を刺された。日没後、李さんは死体の山から這い出して焼却を逃がれ、奇跡的に生き延びた。しかし、李さんの家族13人は全員が殺害された。事件の後、李さんは瀋陽市で暮らし、一度も平頂山村へは戻らなかった。
李さんの孫娘によると、李さんは日本での裁判に勝訴することだけが願いだったという。「平頂山事件」の生存者は1990年代に原告団を結成し、日本政府を相手に損害賠償を求める訴訟を起こした。日本・東京地方裁判所は一審判決で、「国家無答責」を理由に訴えを棄却した。原告団は東京高等裁判所に控訴しており、今年2月に二審判決が言い渡される見通しだ。
事件の現場付近には「平頂山事件記念館」が建てられている。1972年の開館以来、430万人を超える入館者が訪れ、中には日本人10万人以上も含まれている。
「人民網日本語版」2005年1月24日