2014年に、甲午の年が再び巡ってきた。120年前の7月25日、中日の甲午戦争(日本名・日清戦争)が勃発した。この戦争の結果、中日両国はまったく異なる国運を迎えることになった。中華民族は亡国・滅亡の危機に瀕していた。甲午の年は、中国の運命の転換点となった。
甲午戦争の民と国の痛みは、後世の人々に警鐘を鳴らし続ける。120年後の甲午の年は中国人によって、改革の全面的深化の開局とされている。習近平国家主席は初めて、中央改革全面深化指導グループのグループ長に就任した。習主席は今年、公の場での談話の中で、「甲午」について2回言及した。そのうち中国科学院・中国工程院院士大会では、科学技術強国の道を歩み続けることが強調された。
甲午戦争、胸をえぐるような痛み
時間:2014年2月18日 「今年は甲午の年だ。120年前の甲午の年に、中華民族の国力が衰退し、台湾が外国に侵略された。これは中華民族の歴史において、非常に痛ましい一ページであり、両岸(中台)の同胞に胸をえぐるような痛みを残した」
習主席は2月18日に釣魚台国賓館で、中国国民党栄誉主席の連戦氏や台湾の関係者と会談した際に、「台湾が侵略された苦難の歳月において、無数の台湾の同胞が血と命によって自らが中国人であること、中華民族の大家庭の切り離せないメンバーであることを証明した」と述べた。
■分析
祖国統一の願い
日本在住の作家、薩蘇氏は、「甲午戦争と台湾の間には密接な関係がある。馬関条約(日本名・下関条約)の締結後、台湾人民は自発的に抵抗し、黒旗軍もその中に加わった。この戦争は、日本では乙未戦争と呼ばれる。この戦争が1年弱続き、台湾が陥落した。台湾人民はこの戦争の中で多大な犠牲を強いられた」と指摘した。
この戦争の中で、台湾人民は中華風の衣服を着用し続けた。薩氏は、「1919年に台湾で撮影された写真を見ると、台湾の名士の服装は清朝の名士の服装で、中華の服装を維持している。これは尊ぶべきことだ」と述べた。
台湾のこの抵抗は、後世の人々によって讃えられるべきことだ。彼らは祖国の統一と中華の数千年の伝統のため犠牲になった。薩氏は、「習主席のこの評価は、この戦争における台湾人の勇気に対する評価を意味する」と分析した。
甲午の年、院士大会で革新を協調
時間:2014年6月9日 「今年は甲午の年だ。甲午は、中国人民と中華民族にとって特殊な意義を持ち、中国の近代史においても特殊な意義を持つ」
習主席は6月9日に開かれた中国科学院・中国工程院院士大会で、「中国の近代史を振り返ると、中華民族の受けた苦難の重さ、強いられた犠牲の大きさは、世界の歴史でも稀に見るものだ。中華民族の偉大なる復興の目標を実現するため、我々は科学教育興国戦略、革新駆動発展戦略を貫徹し、科学技術強国の道を歩み続けなければならない」と強調した。
■分析
甲午の敗戦、科学技術の体制に問題
軍事医学科学院世界軍事研究部元副部長の羅援将軍は、「甲午戦争は恥辱の歴史として、中華民族に骨身にしみる痛みを残している。時代に遅れれば侵略されるという、非常に深い歴史の教訓が得られた。習主席が院士大会で甲午の歴史について触れたのは、科学技術が第一の生産力であることを強調するためだ。これは科学技術者に対する重視を示している。戦闘力の駆け引きは、科学技術と人材の競争だ」と指摘した。
薩氏は、「中国は体制だけでなく、科学技術でも負けていた。当然ながら、根本的な問題は体制にある。封建制は科学技術の発展を奨励しないからだ。習主席の談話は、甲午戦争で中国が負けた理由を明確に意識していることを意味し、科学技術は第一の生産力という原則にも合致している。国防、国家の繁栄に対して、科学技術は非常に重要な力を持つ。中国は大国であり、科学技術面で完全に海外に依存することはできず、自力更生の力を持たなければならない。中国科学院・工程院は、この努力の実践の場になっている」と述べた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年7月25日