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唐の人々と対話する幸せ
 
中国社会科学院考古研究所唐長安城考古隊隊長 キョウ国強


   1982年、私はまだ南京大学の考古学科の学生だったとき、西安を参観したことがある。当時、あの有名な含元殿の遺跡は、雑草や荊に覆われた大きな土の山に過ぎなかった。私は、唐代の宮殿が非常に大きいと感じたが、それ以外は特に興味を持たなかった。
 
   2002年に隋唐時代の考古学で博士号を取得し、指導教官の安家瑶教授の提案で、唐長安城考古隊で仕事をすることになるとは、思いもよらなかった。

唐の大明宮の含元殿遺跡に残された建物の壁


   2003年夏、西安市は、小雁塔の周辺に文化公園をつくることを計画し、施工前に私たちが一カ月半、ここのボーリング調査と発掘を行った。小雁塔は、唐の時代には薦福寺の境内にあった仏塔で、塔の下には地下宮があり、かつては仏像や経典、宝物を収蔵するのに使われた。

   私たちは仏塔の中にある板の蓋を持ち上げて地下宮に入ったが、中はすでに空っぽだった。それは残念なことだったが、私たちはボーリングによって、小雁塔が千年の間、倒れなかった秘密を発見した。
 
   もともと小雁塔の地下の基礎は三層に分かれている。いずれも土を突き固めて造られ、各層の面積は、上に行くほど狭くなっている。最下層は地下3.5メートルで、その面積は7200平方メートルであり、大きな石塊が敷き詰められている。
 
   こうした階段状の基礎が、外部の圧力を均等に分散させ、小雁塔は70回以上の地震にあっても倒れなかったのだ。私たちのこの発見は、長年にわたる人々の憶測と論争に終止符を打った。
 
   小雁塔があった薦福寺は、かつて唐王朝の皇室の寺院であった。多くの高僧がここでインドの仏典を翻訳した。不幸にも、寺は唐代末期の戦乱の中で破壊されてしまった。
 
   私たちの今回のボーリング調査は、この寺の元の建築規模を明らかにすることだったが、困難を極めた。現代の建築が残したセメントの地面と鉄筋コンクリートの基礎があって、私たちの探査用のシャベルは、地下1.5メートル前後にある唐代の地層にまで届かなかったからである。

   そこで私たちはまず、タガネで地面に穴をあけ、焼けるような日差しの下で、四十数人が二十数日間、ガンガンと地面に穴をあけた。多くの発掘隊員の手から血がにじみ出た。「報いられない努力はない」といわれる。私たちはついに、当時の寺院の境内の土を突き固めた塀の一部、レンガを積んだ排水溝や井戸を探し当てた。
 
   最も価値のある発見は、一つの円形の土坑の中から出土した七十数件の美しい文物であった。発掘隊員は坑の中から、胡蝶の図案のある白磁の箱の蓋や藍色の釉薬をかけた双耳瓶、砂金が含まれた硯などを一つ一つ取り出した。こうした文物は、薦福寺が皇室の寺院であったとき、華麗で壮大であったことを証明している。
 
   その後まもなく、西安市政府は、私たちの発掘報告に基づいて、文化公園計画を改めてつくり直した。現在、小雁塔のそばを通るたびに私は、そこが遺跡として保存され、また市民の遊びの場となっているのを見て、心の中で喜びをかみしめている。

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