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漫画家・森哲郎:日本の漫画界に刺激を与えたい |
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▽漫画家・森哲郎:中国と日本のユーモア
取材を受ける森哲郎氏はベレー帽をかぶり、手にペンを持ち、書きなぐりながらそれを解説し、ときに冗談を交えつつと話の回転が速い。
記者:79歳にはとても思えません。
森氏:「一笑一若一怒一老」。笑えば若くなり怒れば老いる。これは私のモットーです。それと酒です。酒は私にとってクルマのガソリンのようなものです。
記者:漫画家にとってユーモアは素質ですか?
森氏:(紙に丸を一つ書き、そばに曲線を一つ書く)これは簡単なユーモア漫画です。誰でもすぐに書けます。あなたにはこれが何に見えますか?この大きな円は鍋のふたで、曲線はネズミのシッポです。つまり、この絵は鍋のふたでネズミを押さえつけたところです。もう一本曲線を加えれば2匹のネズミとなります。ユーモアというものは生活にも大切だと思います。ある時、暴力団の人と居酒屋で出会って口論となり、その一人が、テーブルに短刀を突き立てて私を脅しました。私は咄嗟に「これは本物だ!」と言い、「映画みたいだ」と言いました。彼はだまって短刀を納め、私のグラスにビールを注いでくれました。これもユーモアのおかげです。
記者:いま、中国人のユーモアをどう感じますか?
森氏:ユーモアというものは、先天的なものではありません。「文革」後にはじめて中国に来たのですが、その頃はユーモアは通じませんでした。ホテルやレストランでウェイトレスに冗談で「ウォーアイニー」(愛してる)と言っても相手はプッとして顔をそむけました。しかし、今は違います。今は「ウォーアイニー」と言うと相手はニッコリ笑って「シェシェ」(ありがとう)と言ってくれます。つまりユーモアは明るい心、豊かな心から生じます。暗い気持ちからは、ユーモアは生まれない、ということです。かつて、中国は英国に並ぶ世界のユーモア大国でしたよ。
記者:中国と日本のユーモアの共通点はありますか?
森氏:ユーモアの語源はギリシャ語で「フモル」と言います。中国の「幽黙」というあて字を考えたのは中国の文学者・林語堂さんです。さっきも言ったように、中国はかつてのユーモア大国です。中国古典に「笑府」や「笑林」という笑い話の本がありますが、それは日本の落語の原典となっているのだと思います。
記者:日中両国の漫画交流はいつから始められましたか?
森氏:1980年だったか、広州へ行ったとき中山大学を訪問し、孫文記念館で「漫画」という熟語をたくさん見かけました。そしてそれが昭和の初期、日本に留学していた中国近代漫画の祖といわれる豊子愷(ほうしがい)が、日本から「漫画」という二字を中国へ持ち帰り、中国にひろめたということを知り、そのような関係にありながら、日中間に漫画交流が無いことは不自然だと思ったことが動機となって、中国漫画交流に先鞭をつけることになり、その面では「井戸を掘った人」と言われるようになりました。これは私の誇りとするところです。当時、人民日報社が「風刺与幽黙」を創刊、中国で漫画ブームが起きたことも契機となりました。そして、今年の10月には日本で二度目となる「現代中国大漫画展」を名古屋で開催します。
記者:ここ数年の中国の漫画界をどう思いますか?
森氏:私が心配していることは、日本の低俗な漫画文化が中国に上陸しないかということです。日本には質の高い物語漫画も少なくありません。おそらくこの種のコミックスが世界的な流行となるでしょう。
記者:社会派漫画家の後継者はいますか?
森氏:息子が二人いまして、長男は漫画家志望で小学校の頃から漫画サークルを作ってやっていましたが、今でも漫画家になっていません。そのことを本人に言わせると、親父が存命中は、親父と比較されるからいやだと言っています。しかし、息子を漫画家にするために私が死ぬわけにはいきませんからね(笑)
※本文は4月に森哲郎が訪中し、人民日報社を訪れた際、人民日報発行の「環球人物」誌(記者・劉海児)の取材に応えた記事をまとめたものです。
「人民網日本語版」2007年11月2日
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