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「雨後の竹の子」
発信時間: 2008-04-15 | チャイナネット

陳景潤の人を奮い起こす業績、鄧麗君の人の心を揺り動かす歌に包まれる中、時間は静かに流れ去り、80年代を迎えた。万物が蘇生し、欣々として栄光に向かった時代であり、様々なタイプの「偶像」が雨後の竹の子のごとく次々と出現した。

陳景潤と同様に全社会が学ぶ模範とされたのが、身障者で志の強い「中国の保爾(旧ソ連の小説『鋼鉄はいかに鍛えられたか』の主人公)」・張海迪、消火活動で犠牲になった少年英雄・頼寧、肥だめに落ちた老人を救うため犠牲になった青年・張華などだ。彼らの身分は異なり、個人的な特徴も様々だが、依然として全社会が学ぶべき対象だった。彼らに共通するのが「英雄模範」である。

 

 

「女子バレーに学んで、中国を振興させよう」。80年代の中国で最も熱きスローガン。女子バレー精神は、当時の中国社会が奮闘する激しい気持ちを集中的に示したものだ。

 

今日の流行語で言えば、80年代の「各界のエリート」でも「偶像」が出現した。文学界の顧城、北島、舒婷など朦朧派詩人は多くの文学青年の心の「英雄」となった。香港の金庸、台湾の三毛、瓊瑶にも大陸でかなりの「ファン」が生まれた。当時の各界のエリートの中で誰が最も中国人を集団的に崇拝させた「偶像」かと言えば、女子バレーボールチームを置いてほかにない。81年から86年にかけて、勇敢に前進する苦闘の精神をもって世界バレーボル史上で連続5冠を達成。この数年はちょうど、中国が世界に向けて門戸を開こうとしていた時であり、その輝かしい成績は中国人に世界的な栄誉をもたらし、中国人は民族としての自信を強くした。魯光が記した女子バレーのルポルタージュ『中国の娘たち』は広く読まれた。女子バレーの精神は80年代の中国社会全体が奮闘しようとする激しい気持ちを集中的に示しているものだと見なされ、中国人に与えた精神的な励ましとその模範的な効果はスポーツの範疇をはるかに超えるものだった。

 

 

 

ドラマ『射鵰英雄伝』の主役・翁美玲 

ドラマ 『上海灘』の主役・周潤発

 

 
「中国ロックの第一人者」と呼ばれた崔健  歌手費翔 

 

 

80年代には、香港や台湾、日本のエンタテイメントのスターも映画が盛んに上映されるに伴い大陸に入ってきた。83年、香港の『射鵰英雄伝』はウサギの歯をした「スマートな芙蓉」として翁美玲を人びとに記憶に残った。通りに人通りが途絶えたと言われるほどの人気を博した『上海灘』の周潤発は、多くの少女にとって理想の白馬の王子となった。日本の『君よ、憤怒の河を渡れ』で高倉健が、『赤い疑惑』で山口百恵が……。さらにBEYONDや張雨生、費翔、羅大佑、張明敏など香港や台湾のスター歌手の歌も巷に流れた。大陸が生んだ最も人気を集めたエンタテイメントの「偶像」は、後に「中国ロックの第一人者」と呼ばれた崔健だ。86年、ギターを背に北京工人体育館で「一無所有」(一つとして何もない)を唸るように歌った時、観客は唖然とさせられ、中国人も唖然とさせられた。崔健はその極めて個性的かつ文化的反逆の意義に富んだ音楽作品でロックの「長征」を開始。80年代の中国社会では、古い考え方は徐々に打破されつつあったが、新しい考え方や価値体系はまだ確立されていなかった。彼は一世代の青年の疑問とやるせなさを歌い上げて「偶像」となった。

 

「チャイナネット」2008年4月15日

 

 
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