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壮大のスケールの「大三国志展」開催
発信時間: 2008-07-02 | チャイナネット

 

日本でもおなじみの『三国志』。その時代を、歴史と文学の両面からアプローチする「大三国志展――悠久の大地と人間ロマン」が日本で開催される。

 

出品されるのは、中国全土から集められた三国志関連の文物、約150点。そのうち53点が、日本の国宝・重文に当たる国家一級文物である。

 

これほど壮大なスケールで三国志文化の総合的な展覧会が開かれることは、中国でも日本でもかつてなく、日本の三国志ファンを魅了することだろう。

 

「大三国志展」は5月から東京・八王子の東京富士美術館で開かれた後、来年3月まで、旭川、神戸、福岡、高松、名古屋、前橋を回る。

 

文物と映像で示す背景

 

今から約1800年前、漢王朝が滅び、魏、呉、蜀の三国が鼎立して覇を争った三国時代(220~280年)は、劉備、関羽、張飛、諸葛孔明、曹操、孫権ら英雄、豪傑が活躍した時代である。

 

その模様は、正史では3世紀に陳寿がまとめた『三国志』に記載されているが、文学では15世紀末に羅貫中によって書かれた『三国志演義』に描かれている。

 

「大三国志展」は、後漢~三国~西晋時代を中心とした貴重な出土文物の展示によって『三国志』の時代背景を歴史的に明らかにする「出土品でたどる歴史展」と、『三国志演義』の名場面を絵画や映像などで再現する「物語でたどる文学展」から構成される。

 

「歴史展」には、中国の32の博物館や考古研究所、文物管理所などから出品された多くの文物が並び、三国時代の戦争や政治、人々の暮らしが理解できるようになっている。

 

「文学展」では、赤壁や五丈原など『三国志』ゆかりの土地を映像で紹介し、三人のイメージキャラクターがその地を案内する。

 

また、「諸葛孔明コーナー」では、衛星写真に基づく精密な五丈原の地形模型を制作し、孔明の本陣や布陣の様子を映像技術で再現する。そして土井晩翠の『星落秋風五丈原』の詩と音楽が流され、星空と『出師の表』が交互に現れる。

 

このほか、三国時代の中国と日本の交流を記録した『魏志倭人伝』について展示するコーナーも設けられる。

 

主な出品物を誌上で紹介しよう。

 

環首鉄刀(鉄製の刀)

三国・呉(222~280年)

1987年12月、湖北省鄂州市出土

長さ147.3cm、幅2.6cm

鄂州市博物館

環首は楕円形、刃や背は直刃で、首の先端には2つの動く鉄環がある。この鉄環は全く損傷が無い良好な状態で、前後に滑らせることが可能である。三国時代の刀の中で保存状態の良い希少なもの。兵士俑などが持つ刀と同様の特色・形状を示す。



銅弩(「黄武元年」の銘が入った石弓)

三国・呉・黄武元年(222年)

1973年、湖北省江陵市紀南城 出土

全長54.0cm

湖北省博物館

石弓(弩)は弓(翼)に弦を張り、木製の台座(臂)の上に矢を置き、引き金(懸刀)を引くことによって発射される。この発射装置を(機)と呼ぶ。本品の木製台座部分は複製。



銅馬、牽馬俑(馬と馬を引く人物の像)

後漢(25~220年)

銅馬:高さ134.0cm、長さ115.0cm、牽馬俑:高さ68.0cm

綿陽市博物館

馬は頭をもたげて耳を立て、両目を大きく見開く。牽馬俑は平頂冠を被り、短衣に帯を巻き、靴を履く。右手を挙げ、馬を引く動作をし、左手には長盾を持つ。銅馬と俑は大小の比や動静、虚実を意図的に対比させる手法を使い、漢代芸術の雄大な迫力がみなぎる。

銅馬、牽馬俑(馬と馬を引く人の像)

後漢(25~220年)

1976年、湖南省衡南県道子坪後漢墓 出土

高さ51.5cm、長さ45.0cm

湖南省博物館

人物像は胡人(北方、西方の異民族)を表す。帽子を被り、交襟の長衣を右前に着て帯を締め、履物を履く。濃い眉毛とアーモンド形の大きな目、彫りは深く鼻は高く、湾曲したひげの異国風の顔立ち。当時の中国と西洋との文化交流を反映している。

玉杯(ホータンの玉で作られたカップ)

三国・魏・正始8年(247年)

1958年、河南省洛陽市 出土

高さ13.0cm、口径5.0cm、足径4.0cm

洛陽博物館

西域のホータン産の最高品質の玉を彫り磨いて制作された精緻で美しい芸術品。器の形は美しく整えられ、表面は丁寧に研磨され艶やかな輝きをたたえる。品格のある白色を呈し、その作りは精細で巧妙。当時の中国と西域との交流をうかがわせる名品。



銀縷玉衣(曹操一族の墓から出土した玉片を銀糸で綴った葬衣)

後漢(25~220年)

1973年、安徽省亳州市董園村一号漢墓 出土

全長188.0cm、肩幅59.0cm、厚さ25.0cm、

亳州市文物管理所

曹操一族の墓[曹操の祖父・曹騰か父・曹嵩の墓]から出土した、玉片を銀糸で綴った豪華な埋葬用の衣装。銀縷玉衣は頭部、上着、手袋、ズボン、靴の5つの部分に分かれ、全体で玉片2464個を使用する。



五層連閣式彩絵陶倉楼(5階建ての連結した楼閣)

後漢(25~220年)

1973年、河南省焦作市馬作村出土

全高161.0cm、幅144.0cm、奥行69.0cm

焦作市博物館

5階建ての本館と3階建ての別館を、渡り廊下で繋いだ楼閣。本館には塀で覆われた院落(中庭)と2カ所の望楼が備わり、番犬が飼われている。赤色で文様が施されている。後漢の貴族・豪族たちは当時こうした護衛機能をもつ高層楼閣を築いていた。

彩絵陶説唱俑(物語を歌い語る芸人の像)

後漢(25~220)

1982年、四川省新都県三河馬家山後漢崖墓M23 出土

高48.0cm、長32.0cm、幅20.0cm

成都市新都区文物管理所

説唱俑は、故事や物語を面白おかしく語り聞かせる芸人の俑。四川省の後漢墓からは、様々な説唱俑が出土する。本作は、半裸に素足といういでたち。脇に抱えた太鼓と足を挙げる滑稽な動作と満面の笑みで観衆を魅了する。豊かな表情や臨場感は、型作りに彫刻や貼付けの技法を用いる事で成功している。

銅車馬儀杖隊:銅主騎(車馬儀仗俑群:主力の馬)

漢代

1969年、甘粛省武威市雷台漢墓 出土

高さ44.0cm、長さ41.5cm

甘粛省博物館

墓から出土した副葬品で将軍が出行する際の車馬行列を表すセットの内の主力の馬。鞍は失われているが、体の両側面には奔馬と雲気紋[流れる薄雲の模様]が描かれた泥よけが残る。名馬といえば、三国志では「赤兎」や「的廬(てきろ)」が有名。


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