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唐朝が滅びた原因は気候変動?
発信時間: 2008-12-01 | チャイナネット

資料写真:唐代の仏像

 

蘭州大学の張平中教授をはじめとする研究チームは、石筍の分析により、1810年以降のアジアの季節風の変化を調べ、季節風の弱化と王朝の滅亡に相応関係があることを発見した。この考えはドイツのジェラルト・ハウグ氏の見方を実証するもので、ハウグ氏は昨年、唐代の滅亡と季節風の弱化は直接の関係があるという論文を英科学雑誌「ネイチャー」に発表している。

ハウグ氏のグループは、広東省湛江市南西部にある湖光岩瑪珥湖の岩のサンプルを研究した。この湖は14万年前に火山が噴火した時に形成されたもので、厚さ60メートルの堆積した火山灰には、気候や環境に関する情報が多く含まれている。サンプルの火山灰の磁気特性やチタンから、東アジアの古代の季節風の強度が読み取れる。

ハウグ氏の研究によると、唐の軍隊は751年にアラブの軍隊と中央アジアのタラスで戦ったが敗北し、その後、唐朝はだんだん衰え始める。ちょうどその時期、夏の季節風の弱化で干ばつに見舞われた。長期にわたる凶作で農民が蜂起し、唐朝は907年に滅亡。同じような季節風の変動が中央アメリカでも発生し、9世紀前後、カリブ海の周辺は100年にもわたる旱魃に襲われマヤ文明が消失したという。

張平中教授は、「もし穏やかな気候で豊作が続けば、人々が移動しなくなり社会も比較的安定する。しかし物資が欠乏し、食べる物もなくなったら、あらゆる場所に探しに行き、大きな動乱につながりやすい」と話す。

 

「チャイナネット」2008年12月1日 

 

 

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