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「長安街」歴史散策  清代への時間旅行
発信時間: 2009-06-25 | チャイナネット

 

移転した廟

さて、この東単牌楼から西に東長安街を進むと、昭忠祠、裕親王府、堂子、理藩院、翰林院、鑾駕庫などが順に現れる。このうち、堂子とは、清の支配民族であった満州族が天を拝んだり、神や仏を祀ったりするために建てた廟で、順治元年(1644年)に東長安街の南、今の台基厰の中国人民対外友好協会の場所にあった。8カ国連合軍の占領後は、イタリア大使館になったため、光緒27年(1901年)、長安街の北、後の貴賓楼の場所に新堂子が建設される。

 

東三座門。つき当たりに長安左門が見える(写真提供・張先徳氏。1935年撮影)


 

さらに前へと目を向ける。どっしりと聳えているのは乾隆15年(1750年)に建てられた東三座門だ。三座門の手前には「東長安街」と記された牌楼。門の外の碑には、漢語、満州語、モンゴル語、ウイグル語の4種の文字で、「文武の官員はここで馬を下りるべし」との注意書きがある。清代の人にとって、ここから西は神聖な領域なのだ。

三座門という名の通り、通路は3つ。くぐった先には長安左門、つまり東長安街の終点がある。この門は明の永楽年間(1403〜1424年)に北京の宮殿の池を修築したさい、太廟の南に建てられた。ちなみに、先ほどの三座門という名の親しみやすさゆえか、三座門が壊されてからも、多くの人が、同じく3つの通路がある長安左門を東三座門と呼んだ。

 

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