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エコノミストに責任はない
発信時間: 2009-03-25 | チャイナネット

林国本

 

さいきん、何人かの友人とあるビッグプロジェクトともいうべき大きな仕事に参加した人たちの労をねぎらう昼食会に招かれた。

その食事の席で、さいきんの国際経済危機の中で、日ごろ、あちこちでご高説を発表していたエコノミスト諸氏もおとなしくなった、そして、なかには「この経済危機をほとんどのエコノミストが予測できなかった、いや、全部が全部予測できなかった、だから、エコノミストなんかたいしたことはないよ」と言う人もいる、という話が出た。

筆者は、昨今の経済危機の大津波の波及で不安感を抱いている人たちの気持ちがわからないわけではないが、こういう場合、エコノミストを非難することは酷であると思っている。「人は神にあらず」。他国の大手金融会社の秘中の秘の財務諸表を自由に見られる訳はないし、ましてや粉飾決算があったりしたら、よほどの会計監査のプロでないかぎり、発見できる訳はない。筆者は世のエコノミストには責任はないと見ている。

日本の著名な経済誌ですら、ほとんどのエコノミスト、ストラテジストで、今回のような展開を予言した人は、一人もいない。経済危機の発生した国の不動産業、投資銀行の問題点を指摘していたのは何人かいる。しかし、ここまで問題が大きくなるとは、誰も予測できなかったようだ。

昨年、中国の四川省で大地震がおこったときも、一部の人たちは地震観測機械は、なにをしているのか、となじる人がいたらしいが、筆者は地震の的確な予測は、現在の科学の水準ではまだムリで、こういうことで地震学者たちを非難するのも酷であると考えている。

ある記者会見の席で、ある外国人記者の「この経済危機は、だいたいいつ頃底をつくと見ているか」という質問に、中国の金融分野のトップは、「これは、今回の経済危機の発生源となった国の当局に聞かなければ、的確には答えかねる」とユーモラスに答えていた。そして、責任ある地位にある人らしく、発生源の国名をあげることも控えた。ウイットに富む絶妙な回答だといえよう。

要するに、「失われた十年」といわれる日本のバブル不況も、数多くの日本の著名なエコノミストは予測できなかった。銀行にどれだけの不良債権があるのか、ということなどは、銀行のトップとしては口が裂けても公言できないことである。いわゆる「自由主義経済」ではレッセフェールということが強調されているが、しかし、「レバレッジ」とかいうことになると、やはり一定の監視のもとに置かなければ、ウルトラハイリスクで、ハイリターンではなくなる懸念がある。日本の経済学の書籍には、「カジノ資本主義」という表現さえみられる。人類はいろいろな挫折を経て、今日まで進歩してきた。したがって、今回のつまずきもなが年後に振り返ってみれば、いい勉強になった、と言える日が来るにちがいない。

さいきん、日本の経済誌に連載されている「金融大冒険物語」(同志社大学ビジネススクール浜矩子教授)を興味津々たる気持ちで読んでいるが、資本主義もその発展の中で、いろいろなことを経験しており、そのながいプロセスの中で、すべての経済学者がその上下の揺れを的確に予測したケースは少ない。そういうことで、今回のカタストロフィーの危険をはらんだ証券取引を業としている人たちや、為替の変動をメシのタネにしている人たちを描いた小説をよく読んでいるが、ほとんどのフィナーレは、その凄腕のディーラーたちが、大損失の結果、さびしそうに消えていく筋書きのものが多い。日本の名相場師伝を何冊も読んだが、一山当てるタイプの相場師が多く、一生当て続けた人は一人もいない。為替の動きをずっと当て続けた人もいない。小説の中に出ているディーラーたちは、世界各地の市場の時差を乗り越えて、毎日、三時間ぐらいの睡眠しかとっていない。まさに命をちじめるような仕事だ。

そして、さいきんは大手機関投資家などとなると、何十人ものアナリストを抱えている。そういうなかで大学の経済学者が一人で市場の動きをしたところで、とうてい立ち打ちできるはずはない。ノーベル賞の経済学賞を受賞した人が仲間入りしていたヘッジファンドも消え去ってしまったではないか。

そういうことで、今回のような未曽有の経済危機を予測できなかったとしても、「エコノミスト落第」とは言えないのではないだろうか。

「チャイナネット」 2009年3月25日

 

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