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来し方を振り返って
発信時間: 2009-09-14 | チャイナネット

林国本

 

中国は今年建国60周年を迎えることになった。メディアでは、いろいろな分野の回想みたいな企画が次々と組まれている。私はこの60年を最初の年から完走した人間ではないが、その大切な一期間をみんなと一緒に過ごしてきたので、やはり感無量のものがある。一庶民として私は来し方を振り返ってみることにした。

ユダヤ系で、ナチスの迫害を逃れてアメリカに移住したエリクソンという学者が提起したアイデンティティーという用語を借りるならば、私のアイデンティティーは1963年の中国の対日報道の週刊誌の創刊によって構築が始まることになった。その時私はまだ青二才だった。この週刊誌で定年まで頑張り続け、その後はそれまでの蓄積をベースにそれを存分に生かして、コミュニケーションのさまざまな分野で楽しんできた。そして、その中でマルチ人間としてのさまざまなコンテンツ、モジュール、システムの構築を続けてきた。そういうことで、認知症にでもならないかぎり、生涯メディアの世界から離れることはないようである。これはラッキーなことである。

さいきん、われわれの系列の60周年記念に使える写真はないか、と言われたのがきっかけで、古いアルバムをめくっていると、60年代の写真がたくさんあることに気づいた。みんな灰色(グレー)の人民服姿で、実に質素そのもので、今日のようなブランド品を着た自分の姿と比較してみると、まさに隔世の感がある。あの頃はすべてが衣料切符による配給制で、灰色の人民服も一年に一着か二着買うのがやっとだった。食料品も配給制だった。地方へ出張、取材に行くときには、食糧配給のクーポンを持参しなければならなかった。これらの切符、クーポンは今では博物館の展示品となっている。しかし、あの頃はみんなそれほど苦しいとは感じていなかった。みんな同じような暮らしをしていたし、住居も分配制で、とにかく定年まで勤めれば、なにがしかの年金ももらえるし、とくに私のような仕事、仕事で暮らしていた人間は、物質面では無頓着であった。仕事の面では実に好条件に恵まれていた。日本の新聞、雑誌は読めるし、外国の映画も「弁士」になって自分も楽しむことができ、月日の流れるのを完全にといっていいほど忘れていた。

それが突然、市場原理の導入というご時世へと場面ががらりと転換した。中国がWTOに加入した頃は、日本のメディアの一部では、中国の自動車産業、小売業は壊滅的な打撃を被るのではないか、と報じられていた。私も正直にいって、鄧小平さんのような戦略眼がなかったので、内心、大丈夫かなとすこしは心配していた。ところがどうか。今では自動車販売台数がぐんぐんと伸び、小売業の発展も目覚しいものがある。私の勤務していた週刊誌の社屋の近くのショッピングモールでは、フランス、イタリアのブランド品も買えるし、「スタバ」のコーヒー店もテナントとして入っている。私も近代化というものを実感してみようかなと、「スタバ」に何回か入ってみたが、あの雰囲気はどうみてもヤングたちのものだった。なにか場違いのようなものを感じた。私はもう「ロートル(老頭)」なのかな。

中国はこのように急速に発展を遂げつつあるのだ。この変化に順応していくためには、不断の学習が必要なのかもしれない。しかし、中国の国際的地位が向上することはいいことだと思う。生活のリズムが速くなり、いまの若者たちにとってはたいへんだろうが、近代化というものは、そういうことなのだと達観して、それを先取りする方が賢明であろう。アメリカや日本では百年も前からそうだったのだから。私も一庶民としてこの大変化の波をこれまでのところ、巧みにプラスに転じて、みずからを一回りもふた回りも大きくしてきた。これからも、ウィンドサーフィンの心得で前進していくつもりである。一庶民として、本当の意味でパラダイム・シフトに直面して、二つのシステムを生きることができたのはラッキーなことかもしれない。日本の人たちは1945年の敗戦時にこういう大転換を経験しているが、私にとっても中国で起こった転換はすごいものだったと思っている。

配給制でがんじがらめになっていた日常からイタリア料理、フランス料理、日本料理なんでもござれのご時世になり、ルイビトン、エルメス、バレンチーノといったブランド品がショーウィンドーに並ぶ時代となったのである。そのうちに、「先に豊かになった人たち」の中から自家用機をもつ人さえ現れるのもそう遠くはないと思う。

もちろん、地域格差の問題にも気を配らなければならない。内陸部の一部では、ルイビトン、エルメスなんて、まだ夢の中の話かもしれない。昨今は社会保障についての話題もよくメディアで目にすることになった。「和諧社会」、「科学的発展観」ということが強調される昨今である。来し方を振り返り、未来を展望するなかで60周年を一庶民として迎えたいと思っている。

 

「チャイナネット」 2009年9月14日

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