林国本
友人の特別のはからいで全国の外大や、大学の外国学院の本科生、院生たちとの対話の機会に恵まれたときに、院生たちから「同時通訳」の秘訣を教えてくださいませんか、という発言があった。
私はいつも考えているのだが、だいたいのクリエイティブな仕事とか、「職人芸」的な仕事は、長年の模索を経て、自分の感性にもっとも適したスタイルとか、パターンとかいうものを作り上げるものであり、本人としても、感覚的につかんでいるもので、マニュアルのようなものはありえない、と思っている。
今、レギュラーとして、「同時通訳」の分野で活躍している十人ぐらいの人も、十人十色で、それぞれ自分のスタイルを作り上げている。なかでも、フリーの通訳として、生活がかかっている人たちは、私より真剣に取り組んでいるようであるので、今の若者たちはそういう人たちの「芸を盗む」ことを通じて自分なりのものをつくりあげていく方が現実的ではないかと思っている。「芸を盗む」という表現は適切でないかもしれないが、つまり、私が言いたいのは、秘訣とかコツとかいうものは、言葉ではとうてい説明しきれないものだからである。
私の場合は、長年、ジャーナリズムの世界に身を置いて、「同時通訳」に必要とされるようなコンテンツを仕事のなかで、自然に頭に叩き込んできたので、宇宙飛行とかバイオテクノロジーとか、よっぽど日常生活からかけ離れたもののほかは、ほとんど毎日仕事の中で触れてきたこととも言え、それをいかに「同時通訳」という舞台で応用していくかという単純な組み換え作業が主だった。会社にはいろいろなデータも蓄積されており、チョモランマ登山にたとえれば前進キャンプからすぐ頂上めざしてアタックできる状態にあった訳だ。フリーの通訳はその点、かなりのものを自力で構築していかなければならないので、ベースキャンプからの作業になりかねないわけである。
私は、たえずいつでもジャーナリズムの世界に戻るという及び腰で、余技として「同時通訳」をこなしてきたので、フリーの通訳に比べると、真剣味が足りなかったことも否めない。
しかし、ジャーナリズムの世界も、真剣さが求められるものであり、それには私は真剣に取り組んできた、と胸を張っていえる。
私が若者たちに贈りたい言葉は次ぎのようなものである。
基礎となる勉強と、それと関連のある学習を徹底的に行なうことである。魯迅がかつて言ったように、他の者がコーヒーを飲んでいるときにも、寸暇を惜しんで勉強することである。私はある著名なギタリストの言葉を銘記している。「一応曲が弾けるようになるには十年かかり、みんなの前で演奏できるようになるにはさらに十年、そしてCDを出したり、大ホールでの公演の声がかかるようになるにはさらに十年かかる」。私は幼少の頃に両親にギターを買ってもらって、「ポロン、ポロン」とひいていたが、結局、途中で投げ出してしまった。つまり、私にはギタリストになる才能はなかったのだ。語学とか、 文章力をつけるための勉強は、生涯をかけての持続的努力が不可欠であり、あくまで食らいついて投げ出さない決意がかかせない。しかし、「同時通訳者」になるのに、30年はかからない。そんなにかかれば若者は定年間近になってしまう。しかし、大勢のパネリスト、学者の集まる会合で、テキパキと仕事をこなしていくには、それなりの覚悟と勉強が不可欠である。
余談になるが、東京銀座の酒場のバーテンダーになり、お客様に喜ばれるカクテルがつくれるようになるにも10年の修行が必要ということを、ある文庫本で読んだことがある。つまり、何事もそれなりの苦労が必要だということである。
20代の若者は、仕事と家事、育児で、40代半ばまではたいへんであろう。よっぽど経済的に豊かな家庭に育たないかぎり、苦労は避けられないはずである。また、公務員や外資系の職員でありながら、副業の「同時通訳」をこっそりするというような甘い考えは世間で通用しない。職を失うに決まっている。フリーになれば自己責任で、高齢期への備えとしてのセーフティーネットをつくりあげなければならない。真剣味という表現はそういうもろもろのことを適切に処理していくことも含まれるのである。
外国語と母国語のみにしぼって考えても、少なくとも、普通の市民をはるかに、はるかに上回る知識がなければ務まらない世界である。普通のレベルでは競争からふるい落とされるだけである。
秘訣というものがあるとすれば、他のものよりはるかにすぐれたシステムを30代以前に作り上げられるか、ということの中にその答えがあるはずである。以上、あくまでも一ジャーナリストとしての私見にすぎないが、チョモランマ峰にもいろいろな登攀ルート、登り方があるように、若者たちが自分なりのユニークなノウハウを見つけることを願っている。
「チャイナネット」 2009年9月1日