ホーム>>文化>>元駐日特派員林国本さんのブログ>>最新の記事
浙江省慈渓市で徐福文化国際フォーラム
発信時間: 2009-10-09 | チャイナネット

林国本

 

中国の建国60周年を前にして、9月26日、中日友好協会、慈渓市人民政府、中国徐福会(会長劉智剛元中国駐大阪総領事)の共催による「09中国徐福文化国際フォーラム」が先般完工した杭州湾大鉄橋の南岸にある浙江省慈渓市の著名なリゾート地のホテルで開催された。筆者も友人のはからいで一来賓として参加させてもらったが、このフォーラムに参加することで、中国と日本の長年来の文化交流、改革・開放政策実施以来の浙江省経済の発展ぶりをより深く知ることができ、非常に勉強になった。

秦の始皇帝の在世の頃に、不老不死の薬草を求めて日本に渡った徐福のことについては、子供の頃から「徐福伝説」として聞いてはいたが、その後、文学作品やその他の資料にもふれたことがあるが、なにしろ、政治や時事を主な仕事の内容としているメディアに勤務している人間として、こういう古代史の分野のことについて深く掘り下げることは、当時としては「本道」からはずれることになりかねないので、知識として知っておくのもよかろう、と考えていただけだった。特派員として日本に長期滞在していた頃に、「徐福伝説」と関連があるといわれる和歌山県の新宮市にも、広島への取材の帰途クルマで立ち寄ったことがあるが、これも知識の蓄積の範囲を超えるものではなかった。

さいきん、『人民中国』誌に掲載された中国徐福会常務副会長張雲方氏のこのテーマをめぐっての一文に接し、また、歴史学の角度から研究を続けている中国文物学会の田村氏の蘊蓄のある話を聞き、中日両国の文化交流の歴史をより深く知る面で非常に勉強になった。

慈渓市は徐福が2度目に日本に渡った時の出港地であったといわれるところで、今回のフォーラムの翌日には徐福像の除幕式も行なわれた。

フォーラムには、日本の佐賀市、和歌山県の新宮市や韓国の学者代表らも参加して、大いに盛り上がった。

ちなみに慈渓市は杭州湾大鉄橋の南岸にある町で、すでに上海―寧波経済圏に組み込まれており、これからの経済面での大きな飛躍が確実視されており、そういう意味で今回のフォーラムは、慈渓をよりよく知ってもらう機会にもなったといえるのではないだろうか。

なお、フォーラムの開幕式で、2010年は徐福が日本に渡ってから丁度2220周年にあたり、そのためのいろいろな行事が提案されたが、その中でも船をチャーターして、徐福たちが経由したといわれる韓国、日本の各地をめぐってみる企画も提案された。

私も前世紀80年代の初期に「中日友好の船」訪日団の一員として、日本列島一周の船の旅に参加したことがあるが、当時は中国の近代化がスタートしたばかりの頃で、近代化についての知識の吸収が主な目的だった。今回の提案は徐福の足跡を訪ねるばかりでなく、さらに環境、省エネ技術の勉強というテーマを加えればより現実味を帯びるものとなろう。かけがえのない地球に住むわれわれの持続可能な発展(現代版の不老不死の処方箋であるといえよう)のノウハウを学びに行くようにしてはどうだろうか。しかし、多人数の外国訪問は、前世紀80年代の時代環境と違うので、綿密に企画する必要があろう。杞憂かもしれないが、たとえ一人でも「不法滞在」というケースが発生すれば、リタイアしたベテラン外交官が会長を務める徐福会にキズがつく恐れもなしとしない。われわれの「中日友好の船」は500数十人一人も問題を起こさなかったが、当時と今とでは時代環境も違うことを知るべきである。そのためには、アピールのみでなく、綿密な企画も不可欠なように感じるのは思い過ごしであろうか。

今回のフォーラムを通じて、国際文化交流によりいっそう深まりと広がりがみられるようになっているのを見て、深い感銘を覚えた。

 

「チャイナネット」 2009年10月9日

 

  関連記事
  同コラムの最新記事

· 「中国の一日」

· 来し方を振り返って

· 高く評価されて、悪い気はしないが……

· 「同時通訳」の秘訣?について

· 北京もいよいよ本格的なポスト五輪期に