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楊国光さんと「ゾルゲ研究」
発信時間: 2009-12-22 | チャイナネット

林国本

 

中国の華僑、華人向け通信社「中国新聞社」(北京)の東京特派員として1984年から94年まで日本に滞在した楊国光さんは、青年時代にモスクワの国際関係学院に留学し、その後、私が勤務していた対外報道部門の一セクションで管理職につくと同時に、実務の面でも幅広く活躍していた。当時、私は同じ系列の週刊誌のセクションに勤務していたので、同じビルの中で仕事をしていたこともあって、時々、言葉を交わすことがあった。当時、彼はローザ・ルクセンブルクとかいった人物に人一倍興味を示していたような印象を受けた。私の個人的な見方であるが、これは彼の生い立ち、青年時代をモスクワで過ごした体験と関連がある、と考えていた。プライバシーにあまり深く触れることは失礼であるが、彼がローザ・ルクセンブルクとかゾルゲに興味を示すのは彼の青年時代の精神の遍歴とも関連があると考えている。楊さんの父親の楊春松さんは、1927年に中国の武漢で中国共産党に入党した古参党員であった。このことは、中国式の物の見方で言えば、ものすごいキャリアであり、建国初期に閣僚やそれより上のポストについた人たちのほとんどはこの時期に入党した人たちだった。もちろん、その後の戦いの中で命を捧げた人もいる。楊春松さんは台湾省出身なので、当時の台湾のおかれた状況から日本と関連のある人生の道を歩むことになった。私は若い頃、当時中国で日本と関連のある仕事をしていた楊春松さんにたいへんお世話になり、だんだんと日本と関連のある仕事に深入りすることになり、その後、いろいろと幅を広げながら今日まで歩んできた。そのため、楊国光さんにも親近感をもっていた。

ゾルゲをテーマとする楊国光さんの最初の著作は上海の学林出版社から出版された中国語の「諜海の巨星ゾルゲ」であった。私も一冊いただいたので、興味深く読ませてもらい、その後、日本で上映された関連のある映画のDVDを参考にしながら、第二次世界大戦の一側面を物語る重要な資料としてきた。私自身はこうしたインテリジェンスの世界には興味がないので、それ以上深く突っ込むことはなかったが、一介のジャーナリストとして北東アジアをめぐるパワー・ポリティックスを知るための資料として関心を持ち続けてきた。

その後、楊さんの新版「リヒアルト・ゾルゲ――ある秘密諜報員の功績と悲劇」が上海の辞書出版社から上梓された。この本を著者の楊国光さんが自ら日本語に訳し、一部を新たに書き下ろしたものを日本の評論社から「ゾルゲ・上海ニ潜入ス」という題で出版し、私も一冊頂いた。この本では、ゾルゲに関する新発掘の事実がいくつか取り上げられている。こうしたこれまで未発掘であった資料の発見は、「ゾルゲ研究」や第二次世界大戦当時の極東戦場におけるインテリジェンスの戦いを当時の現実により近い形で復元するうえで大きな役割を果たすものである。さらにいうならば、当時の体験者がほとんどいなくなっている状況のもとでのこうした作業は大急ぎですすめなければもう間に合わないと思われるので、真剣に考えなければならない。

そういう面で、楊国光さんは希有の人材と言っても過言ではない。私の付き合っている国際ジャーナリズムの世界の人間に「ゾルゲ」の話をしても、ぽかんとして、一体誰のことなのか知らない、という人がほとんどだ。日本でもそうであろう。ましてや前世紀30年代、40年代の中国は戦乱の中で国の首都まで重慶へ臨時に移した時期が続き、当時はデジタルのアーカイブをつくって残す技術もなかったので、資料のほとんどは散逸してしまっているに違いないし、また、インテリジェンスの仕事で証拠物件を残すことは「死」を意味することでもあり、そのため、こういう分野の研究は、おそらく往時のロゼッタ・ストーンの研究よりはるかに難しいのではないだろうか。それでも、今回のような新しい発見があったということは、もしも、当時の敵側、かいらい政権側の関連ある機構から押収された、中国でかつては「敵偽档案」と言われていたものなどをじっくり研究すれば、まだまだ掘り起こせるものはあると思う。この面での楊国光さんをはじめ関係者のさらなる努力を期待している。

 

「チャイナネット」 2009年12月22日

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