2004年、中日通航30周年を記念する大相撲公演
もちろん、日本では、相撲の規則にはそれなりの基準がある。すべての選手が同じように試合に参加することこそ、不公平どころか、相撲という伝統競技の独特な魅力あるところだと言える。
日本人の考え方では、親からもらった生まれつきの体格よりも、力士が腕を磨きながら身につけた技法と形成された強い意志のほうが大切だと思われる。力が匹敵する試合よりも、力がひどくかけ離れている試合のほうが興味深いかもしれない。
登場した選手の中で、意気揚々な大男が注目されるのはもちろんだが、小柄な選手が大敵を前にして冷静に挑戦しようとする姿も賞賛に値するだろう。特に、小柄の選手が大きな勇気で敏捷に相手を投げ飛ばす瞬間、鳴り止まぬ拍手がおこる。大柄でも、何もできない無能な人は日本社会できっと軽蔑されたり、皮肉をいわれたりするはめになるに違いない。かえって、小柄の選手が最後に負けても、一生懸命負けずにがんばる様子は惜しまなく賞賛されるのである。
それに、相撲の中に現れた礼儀正しさと命をかけて戦う精神を見逃してはいけないと思う。相撲の一番強い力士は横綱と呼ばれ、ただ強いだけでなく、年齢に関わらず風格や威厳を兼ね備える人格者でなければならない。力士として欠かせない忍耐力、闘志と修養は、長い間の訓練のうちに少しずつ体得して覚えたのである。そして、相撲という競技には厳しい等級制度もある。たとえば、新しく相撲部屋に入る弟子たちは、すべてのことをしなければならない。先輩たちの世話をしたりして、文句を言う資格も、苦しさを訴える資格も一切ないのである。日常生活のすべてにわたり、順序に従って行われる。力士の生涯はまるでピラミッドを登るようで、いろいろ苦労してやっと一階上ったが、連続して失敗したら、また元に戻るから、絶えず努力するしかないのである。努力すればこそ、公平に扱われるという認識に基づき、力士たちは自分を励ましながら、すばらしい試合を演じているのだろう。
負けず嫌いの日本民族の性格が相撲という競技にはよく見られると考える。相撲は日本で独特な魅力を保ちながら、国境を越えて、だんだん世界に広がっている。相撲は日本文化を覗く一つの視角として、また日本文化をより理解する一つのルートとして広く認められていると思う。
(筆者は山東大学日本語科大学院の李笑さん)
「チャイナネット」2007年7月