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「神舟7号」乗組員エピソード(1) 全員農家出身 |
発信時間: 2008-09-25 | チャイナネット |
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宇宙に向かう「神舟7号」乗組員3人が9月24日17時30分、酒泉衛星発射センターにお目見えした時、多くの記者が声を潜め、「年恰好がまるで同じのこの3人は、本当の兄弟みたいだ!」と囁き合った。 翟志剛、劉伯明、景海鵬の3人は、体つきが似ているだけではない。3人とも1966年生まれで、生い立ち、趣味、性格すべてにおいて類似点が多い。 ▽3人とも農家出身 生活の苦労を「学びの場」と言うのならば、翟志剛、劉伯明、景海鵬は、同じような「卒業証書」を手にしたといえよう。 翟志剛と劉伯明の故郷は黒龍江省チチハル市、景海鵬は山西省運城市。3人とも農家の家庭に生まれ、小さい頃、家は極めて貧しく、上級学校への進学のチャンスは、本人と家族の並々ならぬ努力の結果得られたものだった。 翟志剛が小学校に上がる時、母親は故郷・竜江県の劇場の入り口でクアズ(ひまわりの種)を売り、子供達の進学費用を工面していた。クアズ1缶の売値はたった1角、母親が風の日も雨の日も朝から晩まで働き通しても、家に持ち帰るのは僅かのしわくちゃの小額紙幣だった。しかし、この僅かな稼ぎが翟志剛や兄弟姉妹の学費になった。このような環境で成長した彼は、末っ子にも関わらず、小さい頃から物事を良くわきまえていた。小さい頃から、畑仕事は何でもできた。草刈りや田畑の耕しはお手のもの、クワズを炒ることも上手だった。 進学の道は、劉伯明にとっても極めて険しいものだった。高校入学時、家には学齢期の子供が5人おり、畑仕事で生計を立てていた父親は、経済的な無力さを嫌と言うほど味わった。物の分かった劉伯明は、寮費を節約するため、寄宿せず自宅通学することに決めた。毎日オンボロ自転車に乗り、学校まで20キロメートルの道のりを往復した。吹雪の日も決して遅刻しなかった。 景海鵬は高校在学中、もう少しで退学を余儀なくされるところだった。父親は竹箒を売って僅かな収入を得ていたが、3人の子供達を同時に通学させる余裕がなかったため、一番上の景海鵬を退学させることに決めたのだ。この事を知った景海鵬は、ひとり家に閉じこもり、3日間食事も喉に通らなかった。両親はその様子を見て涙を流し、何としてでもあと1年、学校を続けさせることにした。景海鵬は、退学しなくて済んだことに心の底から深く感謝し、何週間も帰宅せずに勉強に打ち込み、ついに宇宙飛行士試験に合格した。 家庭の貧しさが、彼らの粘り強い性格を培った。宇宙飛行士に選ばれた後、過酷なトレーニングが彼らを待ち受けていたが、彼らにとって眉間に皺を寄せることではなかった。 「人民網日本語版」2008年9月25日 |
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