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ジャッキー・チェンとジェット・リー徹底比較! |
発信時間: 2008-05-06 | チャイナネット |
今年、日本ではカンフー映画の公開が相次いでいる。この春公開された「カンフーくん」、柴崎コウ主演の「少林少女」、そして、夏休みに公開が決まったドリームワークスのアニメ「カンフー・パンダ」など。今年の北京オリンピックを意識しているかもしれないが、中でもぜひ見ていただきたいのが、ハリウッド映画の「功夫之王(ドラゴン・キングダム)」。成龍=ジャッキー・チェンと李連杰=ジェット・リーが初めて共演した作品とあって、すでに話題騒然。 ところでこの2人、アクションスターとして世界的に知られていることは共通しているが、たどってきた経歴や持ち味はそれぞれ異なる。 年齢・出身地・家族 ジャッキー・チェン 1954年4月7日生まれ(54歳)、香港出身。妻は台湾の元女優、リン・フォンチャオ。息子のジェイシー・チャンは同じく俳優や歌手として活動している。 ジェット・リー 1963年4月26日生まれ(45歳)、中国遼寧省瀋陽市出身。妻は女優のニナ・リー。前妻とのあいだに娘が2人、現妻ニナ・リーとのあいだに娘が2人いる。「ドラゴン・キングダム」の北京プレミアには愛娘のジェーンちゃんとレッド・カーペットに登場し、子煩悩ぶりを見せていた。 芸能界入りのきっかけ ジャッキー・チェン 7歳からおよそ10年間、中国戯劇学院で京劇を学んだ経歴を持っている。この学院には、サモ・ハン・キンポーやユン・ピョウも在籍していたことで有名。学院を出たあと、映画のエキストラやスタントの仕事を始めた。当時のアクション・スター、ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」「燃えよドラゴン」にもエキストラ出演していたが、決して順調なキャリアとは言えなかった。 ジェット・リー 8歳から北京の体育学校で武術を学び、中国全国武術大会で5回連続総合優勝した。17歳で武術界を引退したが、その実力を高く評価され、1982年に「少林寺」で華々しく映画デビュー。 出世作 ジャッキー・チェン 1973年、ブルース・リーが死去。低迷する香港映画界で、ブルース・リーの後継者として期待されるようになった。徐々にコミカルなキャラクターを前面に押し出し始め、1978年の「スネーキーモンキー(蛇拳)」がヒット。同年の「ドランクモンキー(酔拳)」は、日本で「ジャッキーブーム」を引き起こていた。 ジェット・リー デビュー作の「少林寺」が事実上の出世作だったが、その後は5年以上ヒット作に恵まれなかった。しかし、1991年に、ツイ・ハーク監督作品「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」が大ヒット。トップスターの座にたどり着いた。 ハリウッド進出 ジャッキー・チェン ハリウッド進出へのタイミングは意外と早く、1980年「バトルクリーク・ブロー」に出演。しかし、本格進出のきっかけになったのは1995年の香港映画「レッド・ブロンクス」。この作品が、アジア映画としては初の全米興行収入初登場1位を記録。それをはずみにして、1998年「ラッシュアワー」で名実ともにハリウッド・スターの仲間入り。「ラッシュアワー」は3シリーズ目まで製作される大ヒット作となった。 ジェット・リー 1998年、「リーサル・ウェポン4」に悪役として出演したが、この作品でハリウッドデビューを果たし、世界的な俳優になった。2000年の「ロミオ・マスト・ダイ」でハリウッド初主演。 アクションの特徴 ジャッキー・チェン 自らこなす命がけのアクションが毎回話題に。自らのアクション・チームも持っており、厚みのあるアクション・シーンを追求している。 ジェット・リー 少林拳に、太極拳や八卦掌を併用。武術家だった実力は今も衰えない。 俳優以外の活動 ジャッキー・チェン 歌手としても活動しており、1992年に陳淑樺(サラ・チェン)とデュエットした「明明白白我的心」は中華圏で大ヒット。日本での「ジャッキーブーム」を受けて、日本語でも数曲歌っている。また、中華料理店「ジャッキーズ・キッチン」を展開するなど、実業家としての顔も持っている。 ジェット・リー 2004年12月に家族たちとモルディブでバカンスを楽しんでいたところ、スマトラ沖地震が発生し被災。幸い軽傷で済んだが、それをきっかけにして2007年4月、「ジェット・リー基金計画」を設立、被災者達への支援を展開している。今年1月の中国豪雪被害にも日本円で1400万円を寄付したという。アメリカ・フォーブス誌では「アジアの慈善家48人」に選ばれるなど、その取り組みが高く評価されている。 「中国国際放送局 日本語部」より 2008年5月6日 |
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