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寒い仙台、暖かい思い出
発信時間: 2009-12-14 | チャイナネット

帰国前の最後の週末に5年ぶりに鈴木さんに会いに出かけた。それはずっと連絡しなかったことを詫びるつもりで連絡したのに、野菜を送ってもらうなどかえって鈴木さんに迷惑をかけてしまったのではないかと思ったからだ。今考えると、突然の訪問は非常に唐突で自分勝手な行動だったと思うが、その時はそんなことは全く考えなかった。

仙台駅では、私がすぐ見つけられるようにわざわざ黄色い帽子をかぶった鈴木さんと奥さんが一緒に出迎えてくれた。鈴木さんはマラソンの練習を続けているからか相変わらず元気そうで、5年前より若くなったような気がした。メガネをかけたとても上品そうで優しい奥さんもニコニコしながらあいさつしてくれ、新幹線を降りるまでずっとどきどきしていた私は、やっと落ち着いて緊張感が解けた。

鈴木さんは2日間、奥さんと一緒に車で魯迅の碑や青葉城、松島など仙台の有名な観光地を案内してくれ、仙台の歴史や歴史的な人物を詳しく説明してくれたが、地元の人のもてなしがよくないのではないかと心配している様子だった。吹きつける寒い風の中で震え、車に戻ってくださいと言う私にかまわず、ずっと私のそばにいてくれた奥さん。そんな鈴木さんや奥さんの姿を見て、私は胸に熱いものがこみ上げてくるような気がした。

 

私を迎えるために、鈴木さんはわざわざと中国結びで部屋を飾った

私にとって日本での初めてのホームステイ先は鈴木さんの家である。晩ご飯を作る奥さんを手伝った時には、お互いに家族のことや自分の国の日常生活、さらには結婚問題や嫁と姑の話にまでなり、台所は笑い声につつまれた。そんな様子を応接間で新聞を読みながら聞いていた鈴木さんは「李さんは隣のおばちゃんじゃないよ。李さんを中国人だとは思っていないのかな?」と奥さんに冗談を言い、両親に電話して妻に中国語を聞かせてほしいと頼んだ。

盛りだくさんな晩ご飯

奥さんと比べて鈴木さんとの話は真剣な内容で、中日交流の発展や両国の若者の勉強の様子の違い、就職問題など、話題は幅広い分野に及んだ。しかし最も多かったのはやはりマラソンのことだ。会社のクラブに参加してマラソンしてきた鈴木さんは、国際マラソンに4回参加しという。2006年の台湾国際マラソンのほかは全て北京で行われた。

鈴木さんは、プロの選手ではない自分が国際マラソンに参加できたことは本当に誇りだと話すが、それより大切なことはマラソンに参加することで自分の世界観が広がったことだという。「中国の目覚しい変化を目にし、中国人の友だちもできました。日中友好に少しは役に立っているのではないかと思います」と鈴木さん。

東北の仙台は夜がとても寒く、春節の頃の故郷の四川省にいるではないかと錯覚した。奥さんは厚めのパジャマと賭け布団を用意してくれ、エアコンをつけて部屋を暖かくしてくれていた。

鈴木さんは北京オリンピックのメインスタジアムだった「鳥の巣」を見たいと言う。私は北京で鈴木さんとの再会を心待ちしている。

「チャイナネット」 2009年12月18日

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