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60回目の8月15日:人民日報駐日記者 孫東民(3)

戦後の歴史をどのように認識するかは、日本が避けて通れない問題だ。筆者は10年前、朝日新聞の論説主幹だった中馬清福氏を取材した。いまは信濃毎日新聞の主筆をしている中馬氏は、10年前と比べた日本社会の変化について、日本社会に現れた最も大きい変化は、まず「新民族意識」の出現であり、第二に「大国意識」の台頭であると私に説明した。中馬氏は新民族意識について「後ろ向きのナショナリズム」であり、戦前を肯定し戦後民主主義を否定する傾向があると説明した。大国意識の台頭は、新世代の保守的な政治家の中に見られる。これら政治家には、日本の「主体性」を追求し、国民意識を強めようとする傾向がある。

歴史問題の処理において、日本はドイツと比べて複雑なだけでなく、きわめて明らかな認識の停滞がある。ドイツの法律は、ナチスの正当化を違法と定め、ナチスの戦犯追及には時効がないとしている。これに対し日本は、サンフランシスコ平和条約の発効後に、死刑となった戦犯をすぐに「殉職」と認定した。そして戦犯遺族に対する遺族年金や弔意金、扶助料などの法律を通して、戦犯の名誉を間接的に回復した。また、戦後まもなく無罪放免となった戦犯も少なくない。戦前・戦中・戦後を通して同じ政治家が権力を握り、戦犯の仲間がが政治の中心的地位を占めている。

歴史を振り返れば分かる通り、その重要な原因は、米国の占領政策における戦犯の追及がきわめて不徹底だったことにある。その後、冷戦期の必要に迫られ、戦犯の容疑者が釈放され、政界に復帰したり、さらには権力を握る者もいた。同じく軽視してはならないこととして、日本国民は、軍国主義思想の清算を自ら行えず、戦争の責任者の追及は国民的な規模に広がるには至らず、戦争被害について心のうちを開いてアジアの国々の人々と共同調査をすることができなかった。

日本が歴史を正確に認識していないことで、実際の行動に少なからず問題が生じている。日本の歴史教育では、侵略戦争と植民地支配に対する反省は、民族全体の共通認識にはまだなっていない。日本の政治は保守化しつつあり、政界では戦争責任を回避し、逆にアジアの隣国に責任を押し付ける傾向が顕著になっている。「新世代の政治家」は、旧世代のように戦争に対するひけ目や贖罪意識を持っていない。憲法改正や歴史教科書の選定、自衛隊の海外派遣から靖国参拝にいたるまで、強硬姿勢をくずさない。日本政府が、公の場で何度も「植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。これに痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」という1995年8月15日の「村山談話」を繰り返す一方、日本の首相は中国侵略に責任のあるA級戦犯を祀った靖国神社を続けて参拝しており、言行が一致していない。

評論家の加藤周一氏は、日本人の中で、過去の戦争を心から反省している人とあまり反省していない人が、それぞれ半分ずつを占めると推定する。反省する人々の半分は再び戦争を起こしたくないと考え、残りの半数は道徳的な責任を感じている。反省しない人々は、道義心が乏しく、大部分が日本がひどいことをしたと思っていないという。中には、歴史健忘症が社会全体の気風となった結果、日本がアジアで友人を失って孤立し、自分ではどうしようもない状態になることを心配している人たちもいる。

戦後60年、日本は軍国主義に別れを告げ、平和発展を模索する経済国家の道に就いた。しかし今、アジアを前にして、再び歴史の十字路に立ち止まっている。 

中馬清福氏は、歴史認識に時効は無いと考え、日本の課題は「補習」つまり歴史認識のやり直しが必要だと考える。いたずらに被害者意識を強調するだけでは、すぐに目がくらんでしまう。日本がアジアを侵略した100年の歴史を前に、日本は被害者の視点からだけではなく、アジア全体の視点から見る歴史的な視点が必要なのだ。数千万のアジアの国々の人の被害調査は、60年が過ぎたとは言え、今からでも遅くはない。 

ベテラン政治家の後藤田正晴氏は、過去の戦争の問題について、日本の指導者が結果責任を負わなかったため、国会議員の少なからぬ人々が歴史に向き合ないとした上で、「このような日本という国家に道義心や倫理的な品格があるのか、疑わしい」と述べた。藤田は、国家は歴史を直視すべきで、国民は勇気を出して道義心を持つべきだと強調した。

後藤田氏の観点は、要点を衝いている。日本は対国内的な交流では、よく人の気持ちを理解し、自ら行動する叡智を備えている。しかし国外との行き来では、身をもって相手を理解することが下手で、歴史を直視する度量と気概を欠いている。

10年前に首相談話を発表した村山富市氏は、最近開かれた「歴史を忘れず、未来を拓く」というシンポジウムの席上、20世紀の教訓として「もって戒めとすべきは、自国の利益だけにこだわり、狭隘な民族主義を煽るのは非常に危険であること。そして歴史の事実をねじ曲げ、自国だけが正しく、他国は誤り、自分達だけが優秀でほかの民族は劣っているという行動をとっていては、最後には自分の首をしめるだけだ」と語った。 

日本の学者、溝口雄三氏は、戦争から60年が経ち「アジアで実際に巨大な変化が起きた。進んだ日本と遅れた中国というような図式はいまや、根拠を失いつつある」と説く。日本経団連の奥田会長は、日本は外に開かれ、文化的に多元な共生社会を築くべきだと主張する。日本はすでに、中国との経済関係において「共生関係」が成立したことに気づいている。アジアの国はまさに今、多元的で包括的な価値観により、互助と利益共有を追求している。 

筆者の接触した日本人は皆、客観的にみた場合、多数の国民が心の内で侵略戦争を反省していると考えている。そして「日中が再び戦争することは無い」と口々に述べた。侵略を肯定しようとする右翼勢力の主張は、社会の主流ではない。

今日は歴史と地続きであり、今日は未来へと続く。戦後60年のこの夏から秋、日本の各政党は目前に迫った総選挙に向け、大々的に準備を進めている。一部の世論は、日本の政治家と政党が、侵略戦争をどう認識するかが、日本の現在と未来を左右する大問題だ、と指摘する。日本の政党と政治家は実際の行動で、日本社会を、平和でアジアの隣国と協力する関係に導く責任がある。

戦後60年、両国の関係には曲折があった。歴史認識問題が引き起こした両国間の「政冷」によって、関係はすでに冷え切っている。過去を参考に今を分析すれば、両国は挑戦をチャンスに変える叡智を必要としていることが分かる。歴史と現実が共に証明するように、対話と交流が、対立と怨恨を解消するカギを握る。「歴史を鑑(かがみ)とし、未来に向かう」、これは、人類社会が歴史の悲劇に向き合う上での正しい選択だ。歴史を鑑としてはじめて、未来に向かうことができるのだ。

「人民網日本語版」 2005年8月18日

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