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ピンポン球で結ばれた中日の子どもたち
発信時間: 2008-03-06 | チャイナネット

森薗政崇君の打つ球は、正確無比である  

政崇君は以前、中国に卓球を学びに来たことがある。しかし、中国の選手とペアを組んだのは今回が初めてだ。混合ダブルスで、彼のパートナーとなったのは、北京の什刹海小学の曹匯文ちゃんである。2人は初めて顔をあわせたが、匯文ちゃんは内向的な性格で、おしゃべりが苦手だ。だから2人は、普段はあまり話をせず、試合前の練習も非常に短かかった。

しかし、ひとたび試合が始まると、二人の呼吸はぴったり合った。政崇君はこう言う。「言葉では通じ合うのは難しかったけれど、試合のときはちょっとした目つきや動作で、僕たちは互いの意思をはっきり分かり合うことができました。卓球での意思疎通は、そんなに大きな障害はありませんでした」

 

十数年前の思い出

試合会場のスタンド席で、20人以上の小学生たちが色とりどりの旗を掲げて選手たちを応援していた。この子たちは広東省広州市から来た応援団である。広州市の少年宮(少年の家)の主任をしている李璧キンさんは「広州市では、少年宮が今回の中日小学生による卓球試合の仕事をすることになりました。たちまち五十数人の小学生が参加を申し込んできました。そこで私たちは選抜のための試合を行いました。ちょうど夏休みなので、私たちは子どもたちを連れて、北京まで応援にきたのです」と言った。

河南省と三重県は友好地区の関係を結んでいる。河南・三重チームの4人の選手たち

 広州市と福岡市は1979年に友好都市となった。今回の試合では、福岡代表団も十分な準備をしてやってきた。福岡市卓球協会の吉村美智恵・副理事長は、中日友好都市の卓球交歓大会に特別な感情を抱いている。

1992年、吉村さんは選手としてこの大会に参加した。その時のことを振り返って吉村さんはこう語る。

「当時、私は中国に来て試合に参加できました。私は中国の男子の選手とペアを組み、混合ダブルスに出場しました。彼はレベルが高く、私たちの息もぴったり合っていました。試合が終わったあと、私たちはいっしょに万里の長城へ観光に行きました十数年後、吉村さんは、今度は福岡代表団の団長として、再び中日友好都市の卓球交歓大会にやってきた。しかし残念なことに、帰国後もずっと連絡を保っていた中国のあの男子選手は、数年前、病気で亡くなってしまったそうである。だが、卓球で結ばれた友好の気持を吉村さんはいまも心にしっかりと抱いている。

人民中国インターネット版」より2008年3月6日

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