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「薫風の翼」に友情をのせて |
発信時間: 2008-03-06 | チャイナネット |
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創った曲は46曲 中国の古い友人は亀田さん(左)に再会し、以前に撮った写真を贈った 『心に乾杯』は、中国語で『衷心乾杯』と名づけられた。その歌曲が完成したとき、亀田さんは友人から、郷土の富山県が生んだ大政治家で、中日友好のために力をつくした松村謙三氏にあやかって「音楽文化界の松村謙三になれ」と励まされた。この言葉が、彼の生涯の目標になった。彼は全力を尽くして、中日友好の歌の創作に打ち込んだ。 1972年、中日国交正常化にあわせて、中国から上野動物園にオスのカンカン(康康)とメスのランラン(蘭蘭)の一対のパンダが贈られた。しかしランランは死に、かわりにホアンホアン(歓歓)が贈られてきたが、今度は、カンカンが病気で亡くなり、ホアンホアンの結婚問題が人々の関心事になった。 「もし、日中合作の歌でホアンホアンの相手を探すことができればいいのだが……」と、亀田さんは試しに歌詞の創作を始めた。そして1982年2月、ホアンホアンを歌った『花はいつ咲く』が完成した。李毅之さんは早速、曲をつけた。中国の曲名は『花児何時開』。 数年後、トントン(童童)とユウユウ(悠悠)が相次いで生まれた。亀田さんは『花はいつ咲く』を『花咲いて実る』と変えようと思っている。 中日国交正常化35周年を記念するコンサートで、布谷鳥芸術団は、亀田さんが作詞し、付大滬さん作曲した『薫風の翼に』を歌った
1993年7月、亀田さんは日本百合合唱団を率いて、北京で開催された「中国国際合唱祭」に参加した。そのとき、北京布谷鳥芸術団と深い友情で結ばれた。1994年7月、亀田さんは再び北京を訪れた。第3回中国国際合唱祭の開幕式で、自ら布谷鳥芸術団を指揮し、彼が作詞し、中国の作曲家の瞿希賢氏が作曲した『歌の虹橋』(中国名『歌之虹橋』)を上演した。この歌曲に合わせて日本のモダンダンサーが踊り、大きな反響を呼んだ。 1975年から今日までの32年間に、亀田さんは25回、中国を訪問した。そして、暁光氏、杜鳴心氏ら中国の有名な作詞家や作曲家と協力し、相次いで46曲の中日友好の歌を創作した。 また、韓国、朝鮮、米国、ロシアなど十カ国の芸術家と協力し、40曲の友好協力の歌を創作して、全世界の平和と友好を訴え、戦争や災難をなくすよう呼びかけたのである。 「人民中国インターネット版」より2008年3月6日 |
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