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多田麻美:映像がもたらす感動と触れ合い
発信時間: 2009-04-14 | チャイナネット

「私の両親もタイマグラとよく似た雲南の小さな村に暮らしている。作り方こそ違うが、私自身もタイマグラばあちゃんのように豆腐を作ることができる」「自分の母親、祖母、そしてこれまでに出会った多数のお年寄りを思い出した。彼女たちは強く、善良で働き者だ。そしてその豊かな愛と周囲への気配りは、私たちに毎日心のぬくもりに満ちた生活を与えてくれる」(アンケートの回答より) 作品では、向田さんの作る純手作りの味噌玉や豆腐が重要な役割を果たす。「今年の旧正月は、実家の母と一緒に母の得意な雲南料理を作ろう……長い伝統が生み出した美しい心と価値観を、安易に捨ててはいけない」「この作品は時間をかけて熟成された味噌のよう。……『ばあちゃんの匂い』がまだ残っている」といった回答から、映像から漂う「匂い」に、観客の一人一人が「ふるさとの匂い」を重ね合わせたことが感じられた。

実際に何が起こったのか

最後の締めを飾ったのは、第二次世界大戦中、沖縄戦で犠牲になったひめゆり部隊の生存者たちの証言を集めた映画『ひめゆり』。

若い観客の前で感想を述べる日本人のドキュメンタリストたち 舞台上で聴衆に語りかける中村高寛監督(左)と贾樟柯監督


「これまでも日本には戦争を撮った映画が多数あった。でも、戦争をやってはいけない、という宣伝の映画ばかり。実際に何が起こったのか、というドキュメンタリーは観てこなかった」と監督の柴田昌平氏は制作の動機を語る。「何があったのか知りたい」という思いを貫くため、撮影の際は証言者全員に、もう一度傷を受けた思い出の場所に行ってもらった。

「インタビューというのは、どの場所で話を聞くかによって、同じ質問でも全く答えが違う。現場に行くということは、亡くなった人ともそこで向き合うこと」と柴田監督。粘り強く集めた貴重な証言は、百二十時間分に上った。

日本軍がアジアで行った行為には触れていないため、柴田監督はこの作品を中国で放映すべきかどうか悩んだという。実際、観客の中には、作品に歴史認識が欠けていると訴える者も。だが、来場者の多くは生存者らの偽りのない言葉をまっすぐ受け止めたようだ。

「第二次大戦当時の日本の民衆や、動員された学生たちの真の生活状況を知る手がかりとなった。戦争はなんて悲惨なのだろうと驚いた……」「私たちに本当の戦争とは何か、またいかなる主義・主張の下であっても、戦争が人類の生命にもたらす痛手は同じだということを教えてくれた」「これほど誠実に歴史の細部を描いた映画は稀」「人類の醜い部分に目を向けられる人は尊敬に値する」(アンケートの回答より)

作品では、各証言の間に言葉のない部分が多くとられていたが、印象的だったのは、ある観客がこの言葉のない部分について、「本当にすばらしい。星は私たち人間を見ている、草は私たちの歴史を見ている、海岸は私たちの命の旅を見ている、と教えられたよう」と述べていたこと。  

想像力の交流こそが、映画交流の醍醐味だ、としみじみと感じさせられた一言だった。 (文=多田麻美 写真は『2008REAL』実行委員会提供)

 「人民中国インターネット版」より 2009年4月14日

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