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ウェンナン先生行状記:まほらまの南京生活⑦ |
発信時間: 2009-07-10 | チャイナネット |
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◇卒論のテーマが決まらず◇ 具体的に与えられた事柄に対する反応はよいのだが、自ら選択して書くことは苦手というのは、中国の学生にとって共通しているように思う。だから、卒論のテーマを決めるのにも苦労する。 10月初め、担当した2人の女子学生とレストランで食事をしながら、テーマについて話し合った。この時点で2人とも卒論のテーマを絞りきれていなかった。「何についてどのように書いたらいいのか」迷っていた。 「これまで写作の授業では、私からテーマを出してきたが、卒論は自分でテーマを決めて書くものである」「卒論のように一つのことについて、あれこれ資料を集めて、分析して結論をだすようなことは、これからの社会人として、何回も経験しなければならない」ことを話し、自分でテーマを選択するよう伝えた。 ◇私の生活スタイルがテーマの端緒?◇ 1カ月後、同じレストランで、それぞれが決めたテーマと、書く内容を含めた目次について話し合った。ひとりは、日本の高齢者の「第二の人生」について書きたい、と言った。日本人の高齢者の多くは定年後や子供たちが独立した後、とても活き活きと生活している。それに比べて、中国の高齢者は孫の面倒をみたり、トランプやゲームをやったりするくらいだ。日本の高齢者の生き方は、中国にも迫りつつある高齢化社会の参考になる、という視点だった。 別の学生は、日本人が“働き蜂”といわれるほどまじめに働く原動力は何か、を調べたいという。会社では退社時刻になっても帰る人はほとんどいない。残業を当然のように思い、“過労死”もときどき問題になるほど働き続ける理由は何なのかを追究することになった。 2人の卒論のテーマは、私の生活スタイルが端緒になったのだろうか。新聞社を定年退職後、ひとりで中国に来て、毎日楽しそうに授業をやっている姿を見て、このようなテーマになったのかもしれない。 「斎藤先生は日本で定年退職したあと、どうして中国にやってきたのですか。そして、どうしてそんなに楽しそうな毎日なのですか。」2人は口をそろえて質問した。 「私だけではなく、在職中は“働き蜂”のように働き、定年後は活き活きと第二の人生を楽しんでいる日本人は多くいます。それを卒論に書いて分析してみよう」と答えた。私の人生体験が、2人の卒論のテーマを決めるきっかけになったのなら、こちらにもいっそうの責任がある。これでほぼ、論文のアウトラインが決まった。テーマに沿った資料を集め、関連する書物を読み込み、少しずつでも書き始めるよう指示した。2人の学生は毎回の食事代が気になっていたようだが、「君たちは親から仕送りをしてもらっているのだから、余計な出費はしなくてよい」と、食事代を払おうとするのを遮った。 |
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