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japanese.china.org.cn | 12. 11. 2015

日本の国産ジェット機、4年遅れで初飛行

タグ: MRJ,日本

 

【名門生まれ】

米国は戦後、敗戦国の日本に対して航空機の製造を禁止した。しかし日本の航空機産業は1950年代より回復を始めた。当初は米軍の戦闘機を修理し、それから米国が開発した戦闘機をライセンス生産し、自衛隊に配備した。日本は1962年にターボプロップエンジン旅客機「YS-11」を独自に開発し、約10年後に生産を停止した。

三菱重工は第二次大戦中に有名な「零式戦闘機」(通称「ゼロ戦」)を生産した。戦後も日本の大手軍需企業であり続け、自衛隊向けにF-15、F-2戦闘機、その他の武器装備を製造した。MRJの研究開発は、米ボーイング社、日本政府およびビジネス界からのサポートを受けた。

日本企業はYS-11の開発後、中・大型機の開発を続けなかった。しかし三菱重工とその他の製造メーカーは、米航空機製造大手のボーイングと提携関係を維持し、後者の主な部品サプライヤーになった。ボーイングの新型機「ボーイング787」は、主翼を含め35%が日本企業によって製造されている。

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