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japanese.china.org.cn |16. 08. 2022 |
黒竜江省の「東山万人坑」、無言で日本侵略者の罪を訴える
写真は黒竜江省鶴崗市東山区の「東山万人坑」遺跡。坑内には白骨が積み重なっている。中国侵略日本軍が鶴崗を侵略・占領した際に捨てられた、炭坑労働者の犠牲者の遺骨だ。
鶴崗は石炭開発の百年の歴史を持つ。中国侵略日本軍は1930、40年代に鶴崗で石炭資源を略奪した。多くの炭坑労働者が殺された。
「東山万人坑」遺跡の案内人である袁春紅さんは、「日本軍は鶴崗を侵略・占領した当時、募集をかける、騙す、捕まえるなどの手段により、石炭生産の労働者を集めた。労働者は十分な食料、暖かい服を与えられず、住環境が粗末だった。しかも坑内には安全設備がなく、毎日の労働時間は十数時間で、数え切れないほど多くの労働者が死亡した」と述べた。
資料によると、1943年にある炭坑から大量のガスが漏洩した。侵略者は無理やり労働者を坑内に入らせた。すぐにガス爆発が発生し、炎と煙が外に溢れ出したが、侵略者たちは理性を失い炭坑を封鎖しようとした。憤った労働者は何度も出口に向かったが、銃剣によって坑内に追い返された。百人弱の労働者が焼死した。
当時14歳の徐延章さんは1942年、鶴崗に児童労働者として連行され、日本の侵略者が生きている人を「万人坑」に落とすのを目撃した。徐さんは、「働けなければ殴られ、働けなくなれば万人坑に落とされた。作業小屋の労働者が病気になり寝たきりになっても、侵略者たちは万人坑に落とした。運ばれている時はまだ話ができたが、坑に落とされると狼に食べられた」と振り返る。
旧鶴崗鉱務局は1968年10月に、縦約40メートル、横約30メートル、深さ7メートル弱の万人坑の一角を掘り当てた。ある80平方メートルのエリアだけでも1千人余りの遺骨が見つかった。ある遺骨は背骨を折られ、ある頭蓋骨には銃弾の穴が開き、さらに多くの遺骨の眼窩がワイヤーで繋がれていた。
東山万人坑は現在まだ一部しか発掘されておらず、まだ多くの犠牲者の遺骨が地下に埋まっている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2022年8月16日