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japanese.china.org.cn |19. 08. 2022 |
過去の罪を消すことはできない——軍艦島で記者が見た厳しい現状
8月15日は日本の敗戦・無条件降伏77周年にあたる。記者団はこのほど、長崎県の軍艦島を訪れ、第二次世界大戦時に日本が東アジアの隣国の労働者を強制徴用した痕跡を取材し、日本の侵略戦争に対する再認識を探った。しかし、見聞きしたことから、日本側はこの時期の罪を正視していないどころか、歴史の真相を極力ごまかし抹殺しようとしていることがわかった。
軍艦島の正式名称は端島で、長崎港の南西約19キロの海上にある。形状が軍艦に似ていることから、軍艦島と呼ばれている。2015年、軍艦島を含む23カ所の日本の「明治日本の産業革命遺産」が巨大な論争の中でユネスコの世界文化遺産に登録された。中でも最大の争点となったのは、日本の侵略と植民の歴史と深く関わっていることである。第二次世界大戦中、朝鮮半島と中国の大勢の労働者がこの島で強制労働をさせられ、非人道的な虐待を受け、命を落とした。
当時、世界遺産委員会はこれらの遺跡を世界遺産に登録するための条件を出し、日本に「全遺跡の完璧な歴史の説明」を求めた。申請において、日本側は強制労働が悪劣な環境で存在した事実を認め、遺跡でその歴史を紹介することに承諾した。
しかし、記者が軍艦島ガイドブックの明治時代以降の長い歴史年表を見たところ、1925年から1955年までの30年間の歴史について、2つの記録しか記載されていないことに気がついた。1つは1941年に軍艦島の石炭生産量がピークの41万1100トンに達したこと、もう1つは1945年に軍艦島に石炭を輸送する貨物船が米軍の魚雷攻撃に遭ったことである。
侵略戦争中に日本に連行された労働者、非業の死を遂げたデータなどは記載されておらず、ガイドブックでは朝鮮・中国にも触れていない。
史料によると、1939年から、北は北海道、南は九州まで、軍艦島のようにアジアの多国から労働者を強制徴用し奴隷化したケースは数えきれないほど多く存在し、被害を受けた労働者の血と涙が滲んでいる。
ガイドブックはこの時期の歴史に触れず、同行したガイドも言及しなかった。長崎の歴史専門家から学んだというこの男性ガイドは長崎港を出発後、軍艦島の「栄光」を興奮した様子で紹介し続け、ここで採れた石炭と鉱石は三菱の造船所と製鋼所に豊富な鉱物を提供しただけでなく、日本の産業化にも大きく貢献したと話した。
船が近づいていくと、軍艦島が黒い巨獣のように海面に現れ、島に林立する建物は軍艦の甲板に建つ砲塔や艦橋のようだった。
「見てください、島にあるこの7階建ての建物は日本最古の鉄筋コンクリート建築で、日本の近代建築史の始まりです」。ガイドの解説から被害を受けた労働者に対する同情、加害者に対する非難は少しも感じられなかった。
記者は我慢しきれず、どうして強制労働の歴史の記載と解説がないのか尋ねた。ガイドは困惑した様子で、「強制労働?何をおっしゃっているのか、私にはわかりません。ここに強制労働はありません」と話した。記者が携帯電話で検索した軍艦島に関する日本語資料を見せると、ガイドはちらっと見て「すみませんが、私はその歴史を知りません」と言った。
記者がさらに「観光客にその歴史を全く話さないのですか」と尋ねると、ガイドは目を逸らし、面倒くさそうに「私は軍艦島観光機関の職員で、私が紹介することは全て会社が規定している内容です」と答えた。
実際は、軍艦島の労働者奴隷化の歴史を紹介することは、日本が世界遺産申請時にユネスコに承諾したことである。しかし世界遺産登録後、日本産業遺産情報センターは日本側の強制労働の事実を否定する証言と資料を展示し、国際社会の強い不満を買った。
2018年、ユネスコ世界遺産委員会は、日本に明治日本の産業革命遺産の申請において強制労働の歴史を十分に紹介するよう求めることを決めたが、日本側は少しも気にかけていない。2021年7月、世界遺産委員会は日本が軍艦島などの明治日本の産業革命遺産の宣伝で強制労働などの歴史を十分に紹介していないことに対し、「深い遺憾」を示し、日本政府は申請時に国際社会にした承諾を果たしていないと指摘した。また、日本側に対し、多くの労働者が戦時中に過酷な強制労働をさせられた歴史を伝える措置をとるよう求めた。
長期にわたり、右翼勢力の影響により、日本は第二次世界大戦中の歴史の説明、学習と研究を選択的に記憶から抹消している。現在、多くの日本人にとって、軍艦島は日本の近代の繁栄と産業革命を象徴するする遺産であり、ここで非人道的な虐待を受けた異郷の労働者の運命についてはほとんど知られていない。
同行したガイドは軍艦島の過去の罪を忘れているが、軍艦島がある長崎市が原爆の被害を受けたことは忘れていない。
このような暗い歴史が美化され風化する中で、軍艦島を回る海の旅は終わった。記者団が下船すると、背後から「ここに強制労働の歴史はない」と誰かが叫んだ。
この聞き苦しい声はガイドではなく、記者と共に軍艦島を訪れた日本人観光客が発したものだった。
しかし、どのようにごまかし、逃げても、歴史は歴史である。罪を消し去ること、真相を曲げることはできない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2022年8月18日