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japanese.china.org.cn |08. 05. 2023 |
友好の実り満喫 フルーツ王国・福島
張雲方=文・写真提供
1976年、フルーツが実りを迎えようという8月に、福島県日中友好協会の招きで同県を取材した。同地での大きな目的の一つは、同県園芸試験場会津試験地(現・県農業総合センター会津地域研究所)で開かれる中国ブドウ初結実記念交歓会への出席だった。
日本の47都道府県で、福島県は面積で第3位。農産物が豊かで、工業生産額も東北6県でトップ。風光明媚な素晴らしいところだ。
福島県庁で県側は得意げに県内の状況を紹介してくれた――福島には日本三大桜の一つ「三春滝桜」(三春町、国天然記念物のベニシダレザクラ)があり、猪苗代湖近くの観音寺川沿いの桜並木がスキーの聖地へと続いています。春には薄紅色のサクラと白銀色の雪が織りなす絶景が皆さんをお迎えします。また当県は温泉が多く、130カ所以上あります。効能も多種多様で、お好きな湯を楽しめます。さらに福島はフルーツ王国、日本酒の里などと呼ばれていますので、どうぞ取材でじっくり楽しみ味わってください。
たわわに実ったブドウ園で取材する筆者(手前左)
翌日、猪苗代湖と磐梯山の絶景を見に行った。猪苗代湖は磐梯朝日国立公園内にあり、その透明度の高さから天鏡湖とも呼ばれ、日本で4番目に大きな湖だ。
こんな言い伝えがある。その昔、僧・空海がこの地を訪れ、湖畔で機を織っていた娘に水を飲ませてほしいと頼んだが、断られてしまう。その後、空海は別の村に行き、米を洗っていた翁という姓の貧しい村娘に、米のとぎ汁を飲ませてくれるよう頼んだところ、娘はすぐに渡してくれた。次の日、磐梯山が噴火し、湖の周りの52の村が一瞬にして水底へと消えてしまった。唯一、空海に米のとぎ汁を与えた翁という姓の家だけが水没を免れ、湖の中の小島となった。それが現在の猪苗代湖の翁島であるという。
空海は多くの中国人もよく知る人物だ。唐代に長安で仏教を学び、青龍寺の住職・恵果和尚は密教の最高位を示す紫色のけさを空海に与えた。空海はまた素晴らしい書家でもあり、日本の書道史上、平安時代の嵯峨天皇、橘逸勢と並ぶ三筆とされている。空海は高野山(金剛峯寺)を開いた真言宗の始祖で、弘法大師とも呼ばれるようになった。また空海は、中国の草書から日本のひらがなを創ったという俗説もある。これも中日の文化交流史を彩る話題の一つだ。
翁島のある猪苗代町が生んだ世界的な医学者が野口英世だ。彼は貧しい家に生まれ、小さい頃にいろりに落ちて左手に大やけどを負い障害が残ったことで、医学の道を志したとされる。野口は黄熱病の撲滅などに大きく貢献し、東京・上野公園内には彼の銅像が立てられ、2004年から発行されている日本の千円札紙幣では、それまでの夏目漱石に代わって野口の肖像が使われている。
野口英世は、貧しい山村の農家の子どもが世界的な科学者に成長するという、一つの成功モデルだ。教育を重視し、外来の文化流入を拒まず、外来文化のエッセンスを自己の文明に取り入れたことが、日本が台頭した理由の一つだろう。
福島入りから4日目、私たちは今回の取材の最終目的地である、県園芸試験場会津試験地にやって来た。
見渡せば、緑豊かな田畑に果樹と稲田が続き、田畑へと伸びるアスファルト道に民家が連なり、のどかな田園風景を形作っている。
古来、中日間の農業・畜産業の伝播と交流は絶えることなく、多くの成果をもたらして来た――中国の戦国時代末期、稲作が日本へ伝わり、弥生時代に本格的に広がった。また唐代には茶の木を植える技術が伝わり、茶道の風習が興った。野菜のインゲン豆は、明代の隠元禅師の名前に由来するという。さらに豆腐の作り方は鑑真和上が伝えたという話もある。
中国の改革開放後、今では有名な東北・黒龍江省の五常市・方正県などの稲作地帯は、日本人の支援の下、日本のイネの種苗を導入し、先進的な技術により、中国の「越光」「早錦」といったコメを作り出した。果物の富士リンゴやブドウの巨峰なども同様だ。北京産スイカ「京欣」のブランド名は、日本人農業技術者の名前・森田欣一の「欣」と北京の「京」から取ったものだ。
日本は昔、果物の種類は多くなかったが、今では世界的にも果物が豊富な国となった。その理由の一つとして、学習に長け、常に完全を目指す向上心が上げられる。日本のリンゴは米国から入って来て、最初は青森に導入された。また、モモやブドウ、ナシ、スイカなどの多くの果物、野菜も海外から入って来たものだ。
同試験地は日本を代表する果物の繁殖基地だ。ここでは単に東北地方に新品種を普及するだけでなく、日本全国や世界に優れた品種を広めている。ここで品種改良した水蜜桃の「あかつき」は、日本でトップを占めている。また黄色いナシの豊水やブドウの巨峰、リンゴの富士も日本ではよく知られている。
同試験地は中国とも密接な交流がある。当時の所長はあいさつで、「中国側の大きな力添えにより、新疆のマスカットブドウが福島にもたらされ、接ぎ木生育に成功して今年はうれしい結果が出た。きょう、中国ブドウ初結実記念交歓会を開き、お招きした中国の友人と共に日中交流の成果の喜びを分かち合いましょう」と語った。
所長の案内で、私たちは房がたわわに実るブドウ園を興味深く見学した。接ぎ木で育てたマスカットブドウは2種類で、一つは新疆のマスカットブドウと同じ白いブドウ。もう一つは、もともと違う紫色をしたマスカットブドウだ。粒の長いブドウは陽に照らされ、魅惑的な色を浮かべている。まだ完熟ではないが、所長が無造作に摘み取ったいくつかの房からは、マスカットの豊かなフルーツの香りと甘さが感じられた。所長はまた、「これは日中友好交流の大きな成果で、日中間の友好交流の使者となることを願っています。今後、私たちは中国の技術者を受け入れ、ここで実習や生育技術の交流を行いたいと考えています」とも述べた。
その後、同試験地は約束通り中日果樹交流の中心的な拠点となり、同地で果樹の生育技術を学ぶ中国人は途切れることなく続いている。
日本では2011年に東日本大震災が起き、福島県の沿海部は壊滅的な被害を受けた。あれからすでに10年余り。会津試験地や昔の古い友人たちはどうしているだろうか。きっと見事に古里の再建を果たしているに違いない。
「人民中国インターネット版」