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平和の道は記憶で敷かれる マレーシア人夫妻が記録した「南僑機工」の歴史

中国網日本語版  |  2025-06-06

平和の道は記憶で敷かれる マレーシア人夫妻が記録した「南僑機工」の歴史。

タグ:平和

発信時間:2025-06-06 14:10:00 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「平和の道は、記憶で敷かれる」

元華人学校教師の盧観英さんは、現在執筆中の著書「親情の呼び声」の原稿にこの言葉を記した。これは「南僑機工三部作」の完結編となる作品で、年内出版を予定している。

77歳の盧さんは最近、クアラルンプールで中国新聞社の独占インタビューに応じ、夫の劉道南さんと共に10年以上にわたり、南僑機工(第二次世界大戦中に中国支援のため東南アジアから帰国した華僑の自動車整備・運転兵)の戦争史料と人生の物語を記録・保存してきた経緯を語った。

2007年、盧さんと元記者の劉さんは既に退職していた。史料を調べる中で、彼らはある埋もれた歴史を発見した。1939年から1942年にかけ、約3200人の南洋華僑機工が安定した生活を捨て、日本軍の空爆の危険を冒しながら、滇緬公路(中国雲南省からミャンマーへ続く物資輸送路)を走るトラックで中国抗日戦争のための戦略物資を輸送した。そのうち1000人以上の若者が命を落とした。1946年までに約1100人が南洋の居住地に帰還したが、残りの約1000人は中国の雲南省、貴州省、広西省などで家庭を持ち、定住した。

しかしこの貴重な歴史は、南僑機工を最も多く送り出したマレーシアでさえ、ほとんど忘れ去られようとしていた。盧さんと劉さんはすぐに、残りの人生をかけてこれらの人々の記憶を探し、記録することを決意した。

当時、多くの南僑機工が既にこの世を去っていた。「私たちは時間との戦いだった」と盧さんは振り返る。夫妻はマレーシア全土を車で回り、さらに中国、ミャンマー、タイなどにも足を延ばして機工たちの足跡を追った。劉さんは新聞に尋ね人広告を掲載し、機工やその子孫と連絡を取ると、一人ひとりを訪ねた。

取材の中で最も夫妻の心を動かしたのは、時空を超えた「再会」だった。盧さんが一枚の写真を指さし、「これはペナンの南僑機工・陳振美さんの息子である陳益良さん」と説明する。陳振美さんが戦死した時、陳益良さんはまだ生まれていなかった。盧さんと劉さんの夫妻が歴史を丁寧に説明し、何度も説得を重ねた結果、父親に複雑な感情を抱いていた陳益良さんはようやく心を開き、「父は私を愛していなかったのではなく、千万の人の家をより愛していたのだ」と悟ったという。

このような「再会」と和解を、盧さんと劉さんは10回以上も実現させた。「その瞬間、歴史の断片がようやく繋がった」と盧さんは語る。

近年、中国の研究者がマレーシアを頻繁に訪れ、南僑機工の史料を収集するようになり、夫妻はこの歴史を守り続ける決意をさらに固めた。

しかし、2019年に劉さんがこの世を去ると、「南僑機工三部作」は彼の果たせぬ願いとなった。

夫の死後、盧さんは一日も怠ることなく作業を続けた。2022年には「探索研究の道——マレーシア南僑機工の歴史記録」を出版し、2年後には90人以上の南僑機工の物語をまとめた「衛国凌雲:南僑機工の第二次世界大戦証言」を刊行した。現在執筆中の「親情の呼び声」を書く間、盧さんはよくセランゴール州の華僑機工回国抗日殉難記念碑の前に立ち、遠く離れた北の昆明や畹町(ワンディン)の南僑機工記念碑に向かって思いを馳せる。それらの碑は、今も互いに見守り合っている。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2025年6月6日

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