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japanese.china.org.cn |07. 05. 2021 |
山道を開削した現代版愚公 未来に向け山村に産業興す
重慶市の下荘村党支部書記の毛相林さん
戦国時代(紀元前475~前221年)の思想家列子が残した寓話に「愚公山を移す」がある。愚公が子どもたちを率いて山を崩して道を切り開き、人の力では不可能だと他人に笑われても、根気強く掘り進めて子孫代々掘り続ければいつか願いはかなうと主張したという話だ。時代は変わって現代、中国共産党員の毛相林さんは村民を率いて断崖絶壁を切り開いて道を造り、「現代の愚公」と呼ばれている。
発展から取り残された村
重慶市巫山県の小三峡の奥地に、地元の人々から「天へ続く断崖絶壁の道」と呼ばれている険しい山道がある。その先にある下荘村は標高1000㍍以上の切り立った山々に囲まれ、深い井戸の底にあるようなことから、「下にある村」という意味の「下荘」と呼ばれるようになった。山道が整備されていなかった約20年前まで、村はカルスト地形が生み出した巨大な穴の中にとらわれており、外界から隔絶され、巫山県で最も貧しい土地だった。村民は外出する際、絶壁をよじ登るしかなく、県内までの往復に4日かかった。
1997年、当時38歳だった毛相林さんは下荘村党支部書記兼村民委員会主任の職務を引き継いだ。その時、毛さんは大まかな統計を取った。当時、約400人の村民の中で、村から出たことがない人が150人以上、舗装道路を見たことがない人が160人以上、山越えで転んでけがをした人が60人余り、けがで障害が残った人が15人いた。「飼っている豚を売ってお金にするため、解体したものを背負って小道に沿って山を下り、生産や生活に必要な物資も背負って山を登って持ち帰っていました」と毛さんは振り返る。山を出て舗装道路を見た村民は、村に戻るといつも周囲の人々に舗装道路がいかに平らで、自動車がどれだけ便利かを語った。毛さんは隣村で多くの村民が家を建て替え、テレビを買い、豚や野菜を自動車で直接運べるようになった変化を目にし、「この村に道路が開通したからだ」と、うらやましくもなりやるせなくもなった。郷(村より上の行政単位)が建設を計画した道路が下荘村を経由しておらず、郷の役人に「下荘に道路を敷くのは現実的に不可能だ」と言われたからだ。毛さんと下荘の人々は失望の中、道路への憧れを日増しに強くしていった。
「改革開放が始まって間もなく20年になるのに下荘が昔のままでは、村の党支部書記として村民や党組織に顔向けできないと思いました。当時、村に道路を敷くという構想はありましたので、どんなに困難でも先頭に立って進むしかないと決意しました」