清明節を詠んだ詩の中で、もっともすぐれているのは、唐の詩人杜牧の『清明』をおいて他にない…
清明節の紹介をする時に、中国美術史上もっともすぐれたリアリズムの大絵巻物――『清明上河図』にふれざるをえない。それは北宋の画家 張択端の傑作(現在北京故宮博物館所蔵)で、北宋の都 汴梁(開封)の清明節における社会生活の様相を生き生きと描き出している…
清明節のころは、各地にそれぞれ特色ある祭りの食品がある。広東省の客家の山村では、清明節の前、村の娘さんたちが手に籠を下げて、野原から艾(ヨモギ)の若葉を摘んでくる。これを洗ってから、水に浸したモチゴメの中に入れる。さらにこれを石臼で粉にする。それに黒砂糖の汁を混ぜ、蒸して、青緑の色をした「艾 」(ヨモギ餅)を作る…
もともと、清明節は春の遊びの日であった。その風習は、古代の3月3日の上巳節にその源がある。この日は、朝廷の百官から百姓平民まで、とりわけ若い男女はみな祭りの盛装に身を包み、食べ物を持って郊外に春の遊びに出かける。宮廷人や富貴の人たちはさらに野原に天幕を張る。彼らはまず川に入って身を清めてから岸に上がり、心ゆくまで遊び戯れる。はなはだしい場合は、ここで密会し、野合することさえある。これが上巳節の「清め」であり、生命の源である水の中で一年の穢れと不祥を洗い清め、あわせて後継ぎの子を得て、一族の人数が増え、発展することを祈るのだ…
清明節は農暦(旧暦)の24節気の一つ。春風が吹き、暖かくなると、空気は新鮮で爽やかになり、天地は明るく、清らかになる。このため「清明」と呼ばれる。しかし、この時節は、雨が次第に多くなる。親に仕える道を重視する中国人は、「生者に仕える如く死者にも仕える」という考え方から出発し、墓を先祖が地下に住んでいる場所と見なし、雨季が到来する前の清明の季節にはまず、風雨に一年間さらされてきた墓を修復、整理し、草を刈り、土を盛らなければならない。そして供物を並べて礼拝し、先祖にご加護と平安を祈るのだ…
「清明」には二つの意味がある。一つは節気を指し、一つは祭日を指す。清明節の由来は古い。戦国時代の墓葬の出土品『周書』―「時訓」の中に、清明節にかんする記事があり、これから見ると、戦国時代から二千四百年あまりのあいだに、民間で次第に独特な風習の清明節が形成されたことがわかる…