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公衆衛生応急「防御線」の構築

今夏になってから、中国では極端な気象現象が再度に起きた。南の方で深刻な洪水と冠水の災害はまだ終わっていないが、北の方にある広い範囲で持続的乾燥がまた起きてしまった。更に深刻なのは、最近の2、3年の間にこのような情況が次々と出現したことだ。経験によって判断すると、これほど頻繁な大きい災害の後で、疫病の大発生を防止することは最も重要だ。これは中国の公衆衛生の応急システムに厳しい挑戦をもたらした。事実上、中国はかつて経済的土台が比較的に弱い時期に、世界で注目された公衆衛生システムを創立したことがある。しかし、前世紀の80年代の初めには、全国で興った「すべてのことは経済の発展を中心にする」というスローガンを掲げた市場化の改革で、公衆衛生システムがだんだん重視されなくなり、そのために、多くの地方で特に広い農村の地区では、すでに名ばかりで実質がない状態となった。

 

かつて輝かしかった「中国モデル」

1949年新中国の成立後、中国政府は経済を発展させると同時に、強力に公衆衛生事業を発展させた。1965年6月26日、毛沢東主席は「医療衛生の仕事の重点を農村に置かれる」と指摘した。この方針と政策によって、多くの都市の医療人員は巡回医療隊を構成し、農村へ駆けつけ、下部の農村衛生組織の病気を予防・治療するレベルを高め、はだしの医者(農村で農業に従事しつつ医療衛生業務に携わる者)を育成・訓練するために、大きな効力を発揮した。 1968年末、公衆福祉の性質を持った医療協力の制度は全国の農村で普及し、広大な民衆、特に貧しい農民に高額な費用を支払わなくて、基本的な衛生、保健サービスを享受させることができるようになった。 70年代末まで、中国はすでに最も全面的な医療の保障システムを持った国の1つになった、80-85%の人口は基本的な医療保健を有していた。平均寿命は旧い中国のときの40歳未満から70年代末の70歳近くまで増えており、赤ん坊の死亡率は195‰から 41‰まで下がった。前世紀の80年代まで、国際組織は各国のランキングをするたびに、1人当たりのGDPによって、中国の順位は高くなかったが、健康レベルによって、ずっと高かった。世界保健機関と世界銀行に「最少なコストで最大な健康の収益を獲得した」という「中国モデル」と誉められ、国際社会で広範な称賛を得た。

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