ホーム>>社会>>社会ニュース
唐山市党委員会書記、唐山震災後の復興経験を語る
発信時間: 2008-05-26 | チャイナネット

四川大地震は32年前に同じ苦難に遭った唐山市の人々の心を揺さぶった。25日に閉幕した「中国経済50人フォーラム」の唐山シンポジウムで、中国共産党唐山市委員会の趙勇・書記は唐山地震後の復興再建についてその経験を語った。趙書記は「32年前の唐山大地震による犠牲者は24万人、重傷者は16万人にのぼり、100年続いた工業都市は一瞬にして廃墟と化した。郷里復興の過程において、唐山の人々は震災救援と震災後の復興再建の経験を積んだ」と述べ、その経験を次の5点にまとめた。

一、中央政府の堅固な指導。大地震発生後、中央は震災救助指揮部を立ち上げ、河北省をはじめ、唐山市にも組織的な指導体制を確立し、強大な動員力を発揮して災害の損失を最低限に抑えた。

二、全国の軍隊・民間からの支援。唐山大地震発生後、人民解放軍が被災地の救援活動に駆けつけ、全国各地からは大量の物資が届いた。唐山の地震孤児4千人余りは8つの省で養育され、負傷者16万人は17の省で治療を受けた。全国各地から建設作業員20万人近くが震災後の復興再建にあたり、毎年250万平米の建物を建設していった。

三、震災後の合理的な区画整備。新たな唐山の復興再建は米ロサンゼルスの土地区画整備と似た4区画に分類して進められた。将来的な都市人口の拡大を考え、比較的高水準の交通網やインフラも整備された。

四、災害後の感染病予防。唐山の震災救援活動の過程で衛生面や感染症予防は高度に重視され、各種の防疫・殺菌対策が迅速に講じられ、被災地には広範囲の感染病が発生しなかった。

五、復興再建事業の厳格な管理。震災後の復興再建の過程において、あらゆる救援金や物資をきちんと秩序的に管理した。唐山市档案局の当時の資料によると、32年前の復興再建においては一本化した調達の下、建設には多数の会社が携わっていたことが分かった。

趙書記はさらに、現在の目から見ると、唐山の復興再建事業では次の3点が遺憾であったとし、それは主に歴史的な原因によるものだと説明した。

一、当時の認識力と科学レベルには限界があり、震災後の復興再建に被災地となったもとの場所を選択したため、一部の地域は地震断層を完全に避けていない。

二、地震遺跡に対する十分な保護を行わなかった。

三、都市計画の全体的な設計レベルが低い。当時、一般住民の住宅問題の解決が急務であったため、震災後の復興再建計画のレベルが低く、建物が似通ったものになった。

「人民網日本語版」2008年5月26日

  関連記事

· 全面消毒!震災後の防疫作業を強化

· 中国、震災後の通貨政策の方向性は?

  同コラムの最新記事

· 地震湖は35カ所、全体的に制御下に

· 海外からの援助物資、累計1600万トン以上 四川

· 北川県の地震湖 上空から撮影

· 青川余震 陜西省漢中市で4人が犠牲に

· 四川省北川県、菜種の収穫に大忙し